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磨呂子親王の土蜘蛛退治伝説 1

聖徳太子(574〜622)の異母兄弟である磨呂子親王は、推古天皇(554〜628)の命を受け、三上山(大江山鍋塚)にいた土賊(英胡、軽足、加羅夜叉、土熊)を退治した。土賊とは、大和朝廷軍に征伐された原住民族の製鉄集団と思われる。

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【磨呂子親王の鬼退治 】

第三十二代(『古事記』『日本書紀』によれば 第三十一代)用明天皇は、大和磐余宮で天下を統 治する時まで、この丹後の国に鬼賊が多く隠れ棲 んで人々を悩ましていることを聞き、諸皇子のな かから討伐に向かう者を選び出そうとした。
この 時、皇后には四人の皇子、第一に厩戸皇子、弟二 に久米皇子、第三に殖栗皇子、第四に茨田皇子が いた。
また、蘇我大臣の辱名姫には田目皇子、葛 城直磐村の娘広子には麻呂子皇子がいた。
この磨呂子皇子は、勇ましいこと万人にすぐれ、 その才 知世に類なく、神仏を篤く敬っていた。
臣下を恵 み、民衆を憐れんで、その徳は遠く広くまわりに 及んでいた。
このことによって、この丹後の国の 鬼賊を退治せよという勅命が下された。
その時、彼は、勅命に従い、丹後の国に下向し ても、鬼賊を追討して功名を立てることができな いときは、その苦労が何もならないのみならず、 天皇の政にきずがつき、また自分にとっては恥と なってしまう。
仏神の力を借りようと考え、まず 宮中において七仏薬師の法を修め、また金の薬師 仏一体を鋳造して護身仏としてお持ちになった。
また、天照大神宮に祈誓をかけ、「この度の諸願 が成就するならば、社殿をそこに立てることとし ます」とお誓いになり、兵を率いて征伐に向かわ れた。
丹波篠村の川辺で、死んだ馬を土中に埋めるの をご覧になり、心のなかで祈誓して、「この度の 鬼賊の征伐が成就するならば、この馬はきっと生 き返ることになりましょう」とおっしゃって、こ の馬を掘り出しなさった。
この馬は駿足の竜馬で あった。
今、ここを馬堀(現亀岡市)といってい る。 皇子はこの馬に乗って、与謝郡におもむかれ た。
その地には、惣鬼、迦桜夜叉、土熊という三 人の鬼を頭として、眷属が多数いた。
皇子はこの 国の大社籠明神社に参るべきこととして参拝をな さったが、その後に一人の翁が白い犬を連れて現 われ、「この国は道筋が定かではない。
この犬を 道案内に用いよ」と言って、行方知れず消えてしまった。
これはひとえに神の加護にちがいないと 思って、皇子はこの犬の後に従って与謝村にお着 きになった。
しかし、悪鬼の棲んでいるようには 見えなかった。
ところが、この犬の額には物みな をよく照らす鏡が掛けられていたが、それに悪鬼 がたちまちに顕れた。
この犬は、今、温江大鏡大 明神と崇め申し上げている。
皇子はとうとう河守 庄三上ヶ嶽まで攻め上り、平定なさった。このと き、土熊鬼だけは討ち洩らされたが、今の竹野の 地で封じ込め、岩窟のなかに繋がれた。

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この鬼 賊を征伐された後、皇子は七仏薬師の像を自ら彫 刻なさった。
ここを仏谷といっている。
第一に善 名吉祥如来を祀る滝村(現与謝郡加悦町)の施薬 寺、第二に宝月智厳光音自在如来を祀る河守(現 加佐郡大江町)の清園寺、第三に金色宝光如来を 祀る竹野郡の元興寺、第四に無憂寂勝宝吉祥如来 を祀る竹野郡吉永(現丹後町)の神宮寺、第五に 法界雷音如来を祀る溝谷庄(現竹野郡弥栄町)の 等楽寺、第六に法界勝恵遊戯神通如来を祀る宿野 (現宮津市)の成願寺、第七に瑠璃光如来を記る 白久村(現舞鶴市)の多祢寺、の七ヶ寺がその七 仏を祁っている。 竹野神社は、この皇子が鬼賊退治をされた後 に、伊勢両宮を移されたものである。
当国熊野郡 市場(現久美浜町)の神社からこの神社へ斎宮を 奉るのである。
市場村に神の子が生まれると、そ の家の屋根に白羽の矢が立つといっている。
それ で、斎大明神と呼び申し上げているのだという。 また、間人村というところがある。この母后が当 国へお下りになり、そこでこの皇子がご対面に なったので、対座村と名づけたのである。


・福知山市雲原に「仏谷」という地名があり、麻呂子親王 はここで七体の薬師如来像を彫った伝説がある。
・福知山市大江町の元伊勢皇大神社には、「麻呂子親王お手植えの杉」と 呼ばれる杉の巨木が現存する。また、皇大神社には麻呂子親王勧 請説がある。
・ 与謝野町の大虫神社には、火災で焼失したものの戦勝祈願のために親王 自らが彫った神像が納められていた。また、白い犬の鏡も合祀さ れていた。
・ 与謝野町に、「二つ岩」と呼ばれる巨石があり、大江山 から親王めがけて鬼が投げつけた巨石といわれ、親王はこの岩を刀で受 け止めて真っ二つに切り裂いたものであるとの伝説がある。
・京丹後市丹後町の竹野神社は、麻呂子親王を合祀していると伝 える。また近くの土熊を封じたとされる「立岩」があり、「鬼神 塚」も現存している。
・大江町旧普甲峠に美多良志荒神という神社があり、親王の大 願成就と同時に死んでしまった白い犬を祀っているという。
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南方系海人

Author:南方系海人
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古代丹後には王国があり、近年の調査で少しずつ証明されつつあります。
また丹後には、素晴らしい自然と伝説が沢山あります。
7000以上もの古墳、遺跡、史跡を自分で歩き、古代からつづくロマン街道や、元伊勢、神社、古墳、山城を旅する記録です。元伊勢伝承地は全て廻ります。
郷土のコアな伝説は、現地に何度でも行って調査します。
私は歴史家でも考古学者でもありませんが、郷土を愛し、歴史を知りたくて開設しました。
ホームページでは無く、あくまでもブログです。
間違えた認識もあるかと思います。
自分が調査した事を纏め、日記帳として利用しています。

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