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元伊勢外宮豊受大神社 元伊勢参拝第十三番

【神秘なる社 元伊勢外宮豊受大神社】

福知山から大江町に入り、普甲峠に向かって国道を走ると、 右手に元伊勢外宮豊受大神社がある。 当然福知山市であるから現在は丹波だが、元々は与謝地方であり、丹後だった。 まあ、丹後と丹波、但馬は七世紀までは同じ丹波国であり、大丹波王国だったのであろう。 この普甲峠は、丹波と丹後を結ぶ重要な街道で、今でも石畳の古道が残っている。 高速道が開通し た現在はひっそりとしているが、それはそれで情緒的で心地良い道である。 さて、この元伊勢外宮豊受大神社であるが、境内はとても神秘的で、歴史を感じとれる雰囲気があ る。 社のあるこの船岡山は、全長200mもある丘で、上から見ると前方後円墳の形なのだという。 調査されていないので何ともいえないが、古墳であった可能性があるそうだ。 神社については古文書などはあまり無く、江戸期の頃の資料からだという。 天橋立にある丹後一の宮籠神社等は、とてつもなく古い資料や秘宝なる物品があるので、 対照的で もある。

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豊受大神社

名 所 在 地 京都府福知山市大江町字天田内船岡山
主 祭 神 豊受大神 相 殿 日子番能邇々杵命(ひこほのににぎのみこと) 天児屋根命・天太玉命 奥 宮
摂 社 多賀神社・土之神社・月読宮・風之神社(四社を以て四所別宮 と称す)
末 社 三十七社


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神明造りの社は、明治に改修され、現在に至る。


《大江町誌》

豊受大神社は、天田内の舟岡山に鎮座、外宮ともよばれ る。祭神は豊受大神、日子番能迩々杵命、天児屋根命、天 太王命を相殿に合祀し、廻りに末社三七社が並び、内宮と 大体同じ形に祀られている。昔はこの森全体に大木が茂っ ていたが、たびたびの台風で古木が倒れ、今はややまばら になったとはいうやはり大社の様相を留めている。 天照 大神は、吉佐宮において豊受大神から真名井の水による御 饌の奉仕をうけられた。伊勢に鎮座ののち雄略天皇の21 年、倭姫命に天照大神の神教があり、丹波から豊受大神を 御饌津神として伊勢の山田原に迎えたのが伊勢外宮のはじ まりであるが、ここ豊受大神社はその元つ宮だと伝えられ ている。近世の地誌書「丹後風土記」には、「此地を与謝 の比沼ノ魚井原といへり真井とも。与謝宮と云。祭神豊受 太神宮鎮座初の地にして、雄略帝21年神託有て翌年勢州 山田原に遷座なし奉ると云。」と記し、「丹後旧語集」に は、「豊受宮ハ国常立尊也 左瓊瓊杵命 右天児屋根命、 雄略天皇ノ御宇建立、養老五年九月初奉宮幣 人王三十三 代推古女帝二十一丁巳年外宮遷座於伊勢国」とある。神社 明細帳には、雄略天皇の二十二年、天皇が神悔を受け、丹 波国丹波郡比沼の麻奈為に座す豊受大神を伊勢国度会の外 宮に移した時、しばらく舟岡山に鎮座したのに始まるとし ている。

豊受大神社社殿 所在地 大江町字天田内小字東平一七八ノー 規模形式 本殿、三間社神明造、茅葺き。 神楽殿、桁行一九・八メートル 梁間五・ ○メートル 寄棟造、柿葺(こけら)(銅板仮葺) 当社は、外宮(げくう)ともよばれ、集落にほど近い舟岡 山の上にある。鎌倉時代ごろから伊勢神道では伊勢の外宮 を丹波与佐宮から移したとしたが、当社の社伝ではこの与 佐宮が当社にあたるとする。そこで元伊勢とも称してい る。境内は、本殿とこれに接する拝殿を中心に、四方に別 宮として多賀・月読・士・風の各神社があり、これらを囲 むように小さな末社三七社が配される。神楽殿はこの一廓 より少し低く、表側参道沿いに建ち、後側に囃子方席、横 側には花道や楽屋が付属する。三七の末社は、御師的な役 割をはたす三七の社家が祀っており、社家の活動により広 い信仰圏がつくられたらしい。 本殿は、棟札からみると、明暦二年(一六五六)上葺 き、寛保二年(一七四二)と文化四年(一八○七)に造替 があり、現在のは明治七年(一八七四)の建立になる。外 観は神明造の特徴をよく備えているが、平面に外陣側面と 内陣境に片扉を設け、外陣機能の発達がみられる。神楽殿 は、もとは栗材のくれ板葺きであったと伝え、江戸時代末 期ごろの建立かとみられる。境内は全体に旧形が保たれて いる。

豊受大神社は、天田内の舟岡山に鎮座、外宮ともよばれ る。祭神は豊受大神、日子番能邇々杵命、天児屋根命、天 太王命を相殿に合祀し、廻りに末社三七社が並び、内宮と 大体同じ形に祀られている。昔はこの森全体に大木が茂っ ていたが、たびたびの台風で古木が倒れ、今はややまばら になったとはいえやはり大社の様相を留めている。 天照大神は、吉佐宮において豊受大神から真名井の水に よる御饌(みけ)の奉仕をうけられた。伊勢に鎮座ののち雄 略天皇の二十一年、倭姫命に天照大神の神教があり、丹波 から豊受大神を御饌都神として伊勢の山田原に迎えたのが 伊勢外宮のはじまりであるが、ここ豊受大神社はその元つ 宮だと伝えている。 近世の地誌書「丹後風土記」には、「此地を与謝の比沼 ノ魚井原といへり真井とも。与謝宮と云。祭神豊受大神宮 鎮座初の地にして、雄略帝廿一年神託有て翌年勢州山田原 に遷座なし奉ると云。」と記し、「丹後旧語集」には、 「豊受宮ハ国常立尊也 左瓊々杵命 右天児屋根命、雄略 天皇ノ御宇建立、養老五年九月初奉宮幣 人王三十三代推 古女帝二十一丁巳年外宮遷座於伊勢国」とある。神社明細 帳には、雄略天皇の二十二年、天皇が神誨を受け、丹波国 丹波郡比沼の麻奈為に座す豊受大神を伊勢国度会の外宮に 移した時、しばらく当国舟岡山に鎮座したのに始まるとし ている。



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《御由緒》

当社は旧号を与佐宮と称へ豊受大神を御主神として仰奉り、境内末社には 全国の名神大社の神々が奉斎されています。大神は人類生存上一日も欠くこ との出来ない衣食住の三大元を始め広く産業の守護神であり、国民に篤い御 加護を垂れさせ給ふ大神に座します。皇祖天照大御神は天孫降臨以来皇居に 奉斎されていましたが、人皇第十代崇神天皇の代に至りまして天皇のお住ま いと同じ皇居にお祭りしているのは誠に畏れ多いと思召され、即位六年に倭 国笠縫邑に御遷座になりまして、皇女豊鋤入姫命が祭事を掌っていられまし た。この地に三十三年間御鎮座になりましたが、別に大宮地を求めて鎮め祭 れとの天照大御神の御神勅がありましたので、同三十九年に当地を大宮地と 定め給いて大和国笠縫邑より遷御されたのであります。 当地で初めて宮殿を建立され大御神を奉斎されたのであります。此の時同 時に豊受大神を合わせ祀られたのが当社の創始であります。 境内を比沼の真名井ヶ原と称へ孤立した一丘陵を形成し、御神霊の静まり 座すに相応しい神秘な霊域で一萬余坪の御山であります。天照大御神は四年 間御鎮座になりましたが、更に大宮地を求めて当地を出御されます。豊鋤入 姫命は各地に大宮地を求めて御遷幸中既に老齢に向かわれましたので、途中 第十一代垂仁天皇の皇女倭姫命が御引き継ぎになられ、垂仁天皇二十五年に 現在の伊勢の五十鈴川上を悠久の大宮地と定められ御鎮座にになったのであ ります。笠縫邑を出御されてより五十年間の歳月を経ております。然しなが ら豊受大神は御鎮座以来御移動がなく、此の真名井ヶ原に鎮まり給いて万民 を恵み守護されてきました。ところが五百三十六年後の第二十一代雄略天皇 二十二年に、皇祖天照大御神の御神勅が天皇にありました。その御神勅は 「吾れ既に五十鈴川上に鎮まり居ると雖も一人にては楽しからず神饌をも安 く聞食すこと能わずと宣して丹波の比沼の真名井に坐豊受大神を吾がもとに 呼び寄せよ」との御告でありました。同様の御告が皇大神宮々司大佐々命に もありましたので、天皇に奏上されたところ非常に驚き恐れ給いて直ちに伊 勢国度会の山田ヶ原に外宮を建立され、大佐々命をして豊受大神を御遷座に なったのであります。然しながら豊受大神の御神徳を仰ぎ慕う遠近の信者は 引き継ぎ大神の御分霊を奉斎して元伊勢豊受大神宮と尊称し、現在に及んで いるのであります。



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《大江町風土記2》

出船入船 外宮さんの山はふねになっているので、ふなおか山といい ます。この山は舟のようにういているので、流れないよう に、たて石というとがった石につないであると言われてい ます。たて石は二俣の田の中にあり、お正月にはおかざり をするそうです。前に若い人たちがその石をほろうとした が深くてほれなかったそうです。
内宮は入船のかたちをしているといいます。ここにもつ なぎ岩というのがあって、その田には牛を入れず、まやご えなどもやらないそうです。
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樹齢千五百年の御神木
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南方系海人

Author:南方系海人
ブログへようこそ!
古代丹後には王国があり、近年の調査で少しずつ証明されつつあります。
また丹後には、素晴らしい自然と伝説が沢山あります。
7000以上もの古墳、遺跡、史跡を自分で歩き、古代からつづくロマン街道や、元伊勢、神社、古墳、山城を旅する記録です。元伊勢伝承地は全て廻ります。
郷土のコアな伝説は、現地に何度でも行って調査します。
私は歴史家でも考古学者でもありませんが、郷土を愛し、歴史を知りたくて開設しました。
ホームページでは無く、あくまでもブログです。
間違えた認識もあるかと思います。
自分が調査した事を纏め、日記帳として利用しています。

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