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日吉ヶ丘遺跡 方形貼石墓

日吉ヶ丘方形貼石墓

【全国最多の勾玉を出土した日吉ヶ丘方形貼石墓】

平成13年5月、与謝野町の日吉ヶ丘遺跡から、弥生時代中期後半(紀元前2世紀~紀元前1世紀頃)の大きな墳丘墓が発掘され大騒ぎになった。
まだ僅か10年前の事である。(平成23年現在)
この墳墓は、加悦谷盆地の日本海三大古墳(すべて丹後)である蛭子山古墳の少し北側に位置している丘で、国道バイパスからもよくみえる。
遺跡は、当 時の墳墓としては異例の大きさで、長辺は約32m、短辺は それぞれ17mと22m、高さは約2.7m。
墳丘の裾に平たい石が貼り付けたこの地方独特 の方形貼石墓(ほうぎょうはりいしぼ)と呼 ばれるものだ。
日吉ケ丘墳墓跡と名付けられたこの墳墓は、同時期の墳墓としては佐賀の吉野ヶ里遺跡についで、全国2番目の規模である。
墓のなかには大量の水銀朱がまかれ、頭飾りと見られる管玉は、全国最多の677個も発掘された。
水銀朱は当時としては大変貴重なもので、魔除けや腐敗防止の為に使用された。
これだけの大量の管玉は当時の丹後の栄光の象徴でもあり、王墓と呼ぶにふさわしい。
吉野ヶ里遺跡の墳丘墓とほぼ同じ時 代で、墓の大きさも、全国最大級。
吉野ヶ里 の墳丘墓には十数体が埋葬されていたが、日吉ヶ丘遺跡の場合、一人の ための墓である。
勾玉の数、一人の埋葬者から、【王の墓】という性格が考えられるという。

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国指定文化財【史跡】

日吉ヶ丘・明石墳墓群

日吉ヶ丘墳墓は、弥生時代の中頃(紀元前2~1世紀)に造られた大型の方形貼石墓です。 墳形は、少しいびつな長方形で、大きさは長辺約32m、短辺約20m、高さは最大約2.7mです。 同じ 時代では全国二番目の大きさです。 埋葬部は墳丘の中央南寄りに一基だけ確認され、槽状木棺に埋葬されたと思われます。 棺の中からは真っ赤な朱と緑色の勾玉677個以上が出土しました。 これらは葬られた豪族の顔の上か、頭の下に副葬されたと思われます。 古墳公園の蛭子山古墳など日本海三大古墳が造られた4~5世紀の古代丹後の繁栄が、日吉ヶ丘墳 墓の発見によって、さらに400年以上も遡ることがわかりました。 平成18年3月 与謝野町教育委員会



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方形貼石墓は、現状では石 見・出雲地域と丹後地域で発掘されているが、これまで発見され た中では最大規模である。丹後では、11もの方形貼石墓が発掘されている。

下の地図でもわかるが、この辺りは古墳、墳墓の過密地帯であり、600もの墳墓、古墳が発掘されている。

加悦谷平野は、丹後地域では最大の平野であり、野田川から阿蘇海まで古代の遺跡の宝庫である。
与謝野町全域でも3000以上の古墳地帯だ。
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南方系海人

Author:南方系海人
ブログへようこそ!
古代丹後には王国があり、近年の調査で少しずつ証明されつつあります。
また丹後には、素晴らしい自然と伝説が沢山あります。
7000以上もの古墳、遺跡、史跡を自分で歩き、古代からつづくロマン街道や、元伊勢、神社、古墳、山城を旅する記録です。元伊勢伝承地は全て廻ります。
郷土のコアな伝説は、現地に何度でも行って調査します。
私は歴史家でも考古学者でもありませんが、郷土を愛し、歴史を知りたくて開設しました。
ホームページでは無く、あくまでもブログです。
間違えた認識もあるかと思います。
自分が調査した事を纏め、日記帳として利用しています。

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