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丹後の戦国時代 その四 

【戦乱の丹後と一色氏】


1467年に始まった応仁の乱、若狭守護武田信賢(のぶたか) は、細川方の東軍につき、丹後守護 一色義直(よしただ)は山名氏の西軍に組した為、一色氏は義政の弟、義視側(東軍細川方) の反撃 を受けることになった。
細川氏は、丹後に隣接する丹波を領国としていた。
応仁の乱により、一色義直は、細川勝元側の東軍を支持の義政により丹後及び伊勢の守護職も解かれた。
1469年、幕府の実権は官僚細川勝元が握っていたので、若狭の武田信賢に丹後守護職を与え た。
これを契機にここぞとばかり、武田氏は丹後侵攻を開始した。

丹後では新守 護武田信賢と一色氏守護代延永氏の激戦が続き、宮津の普甲峠での一色方と武田方での合戦では、一色氏守護代延永氏が奮戦し、但馬守護 山名氏の援軍も手伝って、武田氏を撃退した。
また伊勢でも新守護土岐政康と一色氏守護代石川道悟と の合戦が続いた。
更に細川成之の領国三河には、弟の一色義遠が率いる軍勢が尾張知多郡から侵攻、ここ でも激しい合戦が続いた。


京都は燃えつくし灰と化した。やがて応仁の乱も10年を過ぎたが、細川勝元、山名宗全が続けて病死し、これを期に、 東 軍と西軍の和議が成立した。 将軍足利義政は、丹後守護職を一色義直の子、義春とし、一色氏五代目となった。
勢いづいた丹後の一色勢は同国に駐屯していた武田勢を破り、 旧領回復に一応成功する。
しかし、応仁の乱で一時的といえど、丹後守護となった武田信賢の弟の武田国信は、 容易に 丹後から引き下がらず、加佐郡(今の舞鶴市あたり)は、戦乱の中に巻き込まれてゆく。
丹後には各地に山城が造られ、戦火に見舞われた。特に加佐郡には大小150以上もの山城 が発見されており、武田氏と一色氏、後の細川氏などが攻防を繰り広げていたようである。
三河では1476年、一色勢が細川成之の守護 代東条国氏を自害に追い込み優勢であったが、成之は幕府出 仕を拒否、結局、1478年2月、義直が三河を放棄し、三河の一色軍は撤退した伊勢では義春に半国守護職が与えられた。
しかし、これに反撥する北畠 氏との戦いに敗れた。

丹後の戦国時代は、この頃より約百年間にも渡り、戦乱の渦の中に巻き込まれていく。
1484年、一色義春が、19才という若さで早死。 父親の一色義直が再び丹後守護及び北伊勢守護に復帰した。
1486年9月、丹波の細川政之の兵が丹後に入り、戦況は泥沼化してゆく。





丹後年表(主な出来事)1451年~1500年

1451年  丹後守護一色義直
1453年  一色義直、山城長福寺領丹後河上荘の課役を免除する。
1457年10月、京都で、徳政を求めて土一揆が蜂起し、一色義直等、鎮圧の為、発向する。
1459年  中郡三重郷の国富兵庫助が、「丹後国田数帳」を写す。
1460年 南禅寺端雲院の訴訟を壇那の一色義直が仲介する。
    松田丹後守秀興、奉行となる。
1462年 京都において、土一揆が蜂起、一色義直等、鎮圧に向かう。
1463年 若狭守護武田信賢の被官と、丹後守護一色義直の被官、舟荷物のことで、相論する。
1467年1月 応仁の乱勃発、一色義直、西軍山名宗全に組みする。丹後国守護に武田信賢とな る。
   4月 山名方の分国から京進される年貢を、細川方が丹波、丹後国で没収する。
1468年8月丹後勢、嵯峨に陣を取る。
   9月、丹波国の東軍が侵入し、丹後国軍等の西軍を破る。
   12月、足利義政、御料所与謝郡を摂津之親に預ける。
      竹野郡間人の門四郎家国、朝鮮に遣使する。 
1469年  丹後国が、東軍の武田信賢に与えられ、武田勢と細川勢が、丹後国に討ち入る。
   8月、細川方の天竺賢実らと、山名方の延永らが、普甲寺山で合戦。
1471年 丹後守護に武田国信
1474年、足利義政、一色義春に旧領を返し、丹後守護に一色氏復帰。武田、細川勢はこれに抵抗する。
1477年、一色義直に伊勢国北方が与えられ、伊勢国司北畠政郷と合戦。
    一色氏守護代に石川氏。
1480年、細川氏被官内藤某、丹後国を攻撃。
1484年 7月 伊賀次郎有康と河島安秀、西大寺領加佐郡志楽庄の代官となる。
    9月 一色義春死亡、一色義直が丹後守護に復帰。
1486年7月 鹿王院、寺領加佐郡余部庄の守護一色義直による横領を幕府に訴える。
   8月 幕府、若狭国小浜を一色義直より奪い、武田国信に預ける。義直、丹後に下向する。
   11月 等持院、寺領宮津保に対する一色義直の半済実施の停止を幕府に訴える。
1487年  丹後守護に一色義秀就任。義秀、足利義尚による六角氏討伐に参陣する。
1489年 丹波郡丹波郷が一色政具の所領となる。
    丹波国で、国一揆が起き、丹後国勢と摂津国勢によって鎮圧される。
1491年 丹後守護一色義直、丹後より上洛。
    足利義材による六角高頼討伐の軍勢に一色義直、松田長秀らが参陣する。
1493年 久美浜の伊賀次郎左衛門が丹後で反乱を起こす。一色義直、鎮圧の為下向する。(一色義直が次郎左衛門の弟に目 を賭けた為とされる) 一色義直、その後の消息不明。
1497年 府中の一色五郎、守護代延永氏により殺害される。
1498年 一色義秀、宮津普甲峠にて国人衆に攻められ自殺。
1500年 守護代延永春信が天橋立文殊の千恩寺の多宝塔を寄進する。


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南方系海人

Author:南方系海人
ブログへようこそ!
古代丹後には王国があり、近年の調査で少しずつ証明されつつあります。
また丹後には、素晴らしい自然と伝説が沢山あります。
7000以上もの古墳、遺跡、史跡を自分で歩き、古代からつづくロマン街道や、元伊勢、神社、古墳、山城を旅する記録です。元伊勢伝承地は全て廻ります。
郷土のコアな伝説は、現地に何度でも行って調査します。
私は歴史家でも考古学者でもありませんが、郷土を愛し、歴史を知りたくて開設しました。
ホームページでは無く、あくまでもブログです。
間違えた認識もあるかと思います。
自分が調査した事を纏め、日記帳として利用しています。

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