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奈具神社 元伊勢参拝第十二番

豊受大神宮外宮の元伊勢は、丹後にあります。

第二番目は、京丹後市弥栄町の、奈具神社。

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所在地 京都府京丹後市弥栄町船木奈具273

「奈具の社。」は、現在船木にあるが、もとあった奈具村、旧船木村は、嘉吉年間の 洪水で消失した。

御祭神 主祭神 豊宇賀能賣神(とようかのめのかみ)

末社祭神 素盞鳴命(すさのおのみこと) 若宮神社 可遇土神(かぐつちのかみ)

」社日 むかし、丹波の郡比冶の真奈井に天下った天女が、和奈佐の老夫婦に懇願されて比 冶の里にとどまり、万病に効くという酒を醸して、老夫婦は莫大な富を得ました。し かし、悪念を抱いた老夫婦はやがて天女に、汝は吾が子で
はないと追い出してしまい ました。

天の原ひりさけみれば霞立ち 家路まどいて行方しらずも

と詠って、比冶の里を退き村々を遍歴の果てに、舟木の里の奈具の村にやってきまし た。そして「此処にして我が心なぐしく成りぬ」(わたしの心は安らかになりました)と云っ てこの村を安住の地としました。此処で終焉を迎えた天女は村人たちによって、豊宇 賀能売命(とようかのめのみこと)として祀られました。これが竹野の郡の奈具の社で す。 以上が奈良時代に編纂されたとされる「丹後の国風土記(逸文)」が伝える奈具の社の延 喜です。

境内の案内板より

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「丹後風土記」(715年)の中に、日本最古の羽衣伝説の記述があり、
「丹後の比治の山(磯砂山の頂上に真奈井という池(女池)がある。 この池に八人の天女が舞い降りて水浴びをしていると、里人の和奈佐という老夫が一人の天女 の衣を隠し、無理に連れて帰ってきた。 一緒に暮らして十年あまり、万病にきくという酒を天女が上手に作り、和奈佐の家は栄えて いった。 しかしだんだん天女が邪魔になり、とうとうおいだした。
天女は泣く泣く荒塩の村(荒山)にたどりつき、のち哭木(なきき)の村(内記)から舟木の里の 奈具の村(弥栄町奈具)に落ち着いた。」
ここに奈具神社がある

御祭神 主祭神 豊宇賀能賣神(とようかのめのかみ) 本社

末社祭神 素盞鳴命(すさのおのみこと) 若宮神社 可遇土神(かぐつちのかみ)


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丹後の国の風土記に曰く、丹後の国丹波の郡、郡家の西北の隅の方に比治の里あり。此の山の比治山の頂に井あり、そ の名を間奈井(まない)と云う。
今はすでに沼と成れり。この井に天女八人 降り来て、水浴みき。

時に老夫婦あり。 其の名を和奈佐の老父(おきな)、和奈佐の老女(おみな)と曰う。
此の老達(おきなら)、此の井に至りて、竊(ひそか)に天女一人の 衣装を取り蔵(かく)しき。

やがて衣裳(きもの)ある者は皆天に飛び上りき。
但(ただ)、衣裳なき女娘(おとめ)一人 留まりて、すなわち身は水に隠して、獨(ひとり)懐愧(は)ぢ居りき。 爰(ここ)に、老 夫(おきな)、天女に謂ひけらく、「吾は兒なし。請ふらくは、天女娘(あ まつむすめ)、汝、兒と爲りませ」といひき。

天女、答えけらく、「妾(われ)獨(ひとり)人間(ひとのよ)に留まり つ。 何ぞ敢へて従わざらむ。請うらくは衣裳を許したまへ。」といひき。

老夫(おきな)、「天女娘、何ぞ欺(あざむ)かむと存(おも) ふや。」 と曰えば、天女の云ひけらく、「凡て天人の志は、信を以ちて本と爲す。何 ぞ疑心多くして、衣裳ゆるさざる?」といひき。

老夫答へけらく、「疑多く信なきは卒土(ひとのよ)の常なり。 故、此の心を持ちて、許さ じと爲(おも)ひしのみ。」といひて、遂に許して、すなわち相副(あいたぐ)へて宅(い え)に往き、すなわち相住むこと十餘歳(ととせあまり)なりき。

爰(ここ)に、天女、善く酒を噛み爲りき。
一坏飲めば、吉 (よ)く万の病除(い)ゆ。その一坏の直(あたひ)ほ財は車に積みて 送りき。時に、其の家豊かに、土形富めりき。 故(かれ)、土形 の里と云ひき。此を中間より今時に至りて、便ち比治の里と云ふ。

後、老夫婦等、天女に謂ひけらく、「汝は吾が兒にあら ず。 しまらく借に住めるのみ。 早く出(い)で去(ゆ)きね。」といひき。

ここに、天女、天を仰ぎて哭慟(なげ)き、土に俯(うつぶ)して哀吟しみ、やがて老夫達に謂ひけらく。「妾(あ)は私意(わがこころ)から來つるにあら ず。 是(こ)は老夫達(おきなら)が願へるなり。 何ぞ厭惡(いと)ふ心發(おこ)し て、忽(たちまち)に出(いだ)し去(す)つる痛きことを存(おも)ふや。」といひき。

老夫、ますます發瞋(いか)りて去(ゆ)かむことを願む。
天女、涙を流して、微(すこ)しく門の外に退き、郷人(さと びと)に謂ひけらく、「久しく人間(ひとのよ)に沈みて天(あめ)に還(かえ)ることを得 ず。復(また)、親故(したしきもの)もなく、居(を)らむ由(すべ)を知らず。吾(わ れ)、何(いか)にせむ、何にせむ。」といひて、涙を拭ひて、嗟歎(なげ)き、天 を仰ぎて哥(うた)ひしく、

天の原 ふり放(さ)け見れば、 霞立ち 家路まどひて 行方知らずも。

ついに退き去きて荒鹽(あらしお)の村に至り、すなわち村人達に謂ひけらく、「老父老婦 (おきなおみな)の意(こころ)を思えば、我が心、荒鹽(あらしお)に異なる事なし。」と いへり。仍りて比治の里の荒鹽(あらしお)の村といふ。

亦、丹波の里の哭木の村に至り、槻の木に據りて哭きき。故、哭木(なき き)の村と云ふ。

復、竹野郡船木の里の奈具の村に至り、すなわち 村人達に謂ひけらく、「此處にして、我が心なぐしく成りぬ。」といひて、乃(すなわち)此 の村に留まり居りき。斯(こ)は、謂はゆる竹野郡の奈具の社に座 す 豐宇賀能賣命なり。

丹後風土記
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南方系海人

Author:南方系海人
ブログへようこそ!
古代丹後には王国があり、近年の調査で少しずつ証明されつつあります。
また丹後には、素晴らしい自然と伝説が沢山あります。
7000以上もの古墳、遺跡、史跡を自分で歩き、古代からつづくロマン街道や、元伊勢、神社、古墳、山城を旅する記録です。元伊勢伝承地は全て廻ります。
郷土のコアな伝説は、現地に何度でも行って調査します。
私は歴史家でも考古学者でもありませんが、郷土を愛し、歴史を知りたくて開設しました。
ホームページでは無く、あくまでもブログです。
間違えた認識もあるかと思います。
自分が調査した事を纏め、日記帳として利用しています。

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