スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

四辻の八幡宮(よっつじの八幡さん)

四辻(地元ではヨッツジと発音する)の八幡さんは、 与謝野町市場地区最大の神社である。 宝泉寺横の長い石段を上っていくと、境内が一気に開け、地元の氏神様としてはスケールの大きさに驚く。参道正面に拝殿があり、その後ろに本宮が鎮座する。 左側の恵比寿神社が一番古いそうなので、出雲の神が祀られていたのだろう。 この恵比寿神社の狛犬ならぬ狛鯛が何ともユニークだ。 恵比寿神は大きな鯛を抱えたふくよかな神様で、大漁守護、商売繁盛、家運隆盛の福の神として人 気が高い。 イザナミの神とイザナギの神が最初に生んだ神である。 しかし、その身体には骨が無かったので、船に乗せて流してしまった。なので、水蛭子神(ひるこ のかみ)ともいう。 《源平盛衰記》によると、流された水蛭子神は、摂津国の西宮に流れ着き、漁師の戎三郎と名乗 り、神となったという。

本殿は当然八幡宮なので、応神天皇、神功皇后、武内宿禰(たけうちのすくね)である。 神功皇后と仲哀天皇の子供が応神天皇であるはずなのだが、神功皇后と武内宿禰の不倫の子と いわれる。

八幡宮は、元々は、主に中世の武士に信仰された神で、応神天皇を祀る。 《後三年の役》という戦に勝利して、清和源氏を発展させた源義家が、石清水八幡宮の社前で元服 して「八幡太郎」と名乗った。 これにより、八幡神が武士の源氏の守り神として信仰され、やがて武士全体の守護神となった。

9月のお祭りは 何故か雨の日が多く、「雨の八幡さん」といった。
GRP_0506.jpg

御祭神: 本社 誉田別命(ほむたわけのみこと=応神天皇) 神功皇后(じんぐうこうごう) 武内宿禰(たけのうちのすくね)
末社 恵比須神社 事代主神(ことしろぬしのかみ)
五社 天満大神(てんまんおおかみ) 春日大神(かすがのかみ) 天照皇大神宮(あまてらすこうたいじんぐう)
明治神宮(めいじじんぐう) 保食大神(うけもちのおおかみ)
愛宕神社 火産霊神(ほむすびのかみ)
岩国稲荷神社 保食神(うけもちのかみ)

由緒等:創祀年代不詳。弘仁六年四月十五日嵯峨天皇御自作の御神像を奉勧請せりとて例祭には「さが踊 り」の奉納が明治初期まであった。 神徳 武運長久 定産 家業繁栄 家内安全 神紋 竝矢 社宝 石燈篭 永和四年奉献(南北朝時代) 八幡山は里の中央に押し出された独立した典型的な丘状である。そして氏子の住居で鎮守の森を周 囲万遍なく 取り巻き護っていると云う環境である。四辻特有の一種美の材料で氏子総がかり各 町内に「造り物」“だしもの”を造り参詣者を楽しませたが、 昭和三十年頃より中座している。 ≪平成祭データより≫

GRP_0508.jpg

《丹後府志》1761年によれば、戦国時代、 四辻亀山城に荻野悪右衛門景光が居りて幾地に石川左衛門尉及其の 子文吾 秀澄、次男五右衛門が城砦を構え、当四辻八幡山の陣館には赤井五郎之に拠る、 叉は荻野の臣赤井 平治とも云ふ。

註、古文書によると荻野家は始め丹波の大名であったが、戦国となって、赤井家と確執、 同地方大 名波多野氏が和解につとめその後共に織田氏の先鋒明智氏に追われ、一色に依りて、此城を領有し た同記に「女子、波多野右衛門輝秀室亀山城主遠江守秀尚也、景直母方之叔父於殺、 呼号悪右衛 門」とあり。 このように四辻郷土史によると、戦国期、元々丹波の赤井一族が丹後に入国し、 八幡山の境内付近 に陣館を構えたとあるので、八幡山が四辻城であった可能性もある。 または背後の山が四辻城で、 住んでいたのが八幡山だったのかもしれない。 因みに赤井一族の末裔が、この付近の安田家であるとされ、数件の安田家には由緒書や系図があ る。
四辻亀山城はどこにあるのか不明だが、石川の亀山城は、城主石川浄春斉である。

GRP_0511.jpg



GRP_0503.jpg
「室町時代の石灯籠」

四辻区にある八幡神社の長い階段を上がった右手に、石製の玉垣に囲 まれた古い石灯籠があります。 この石灯籠は、高さが248センチあり、材質は安山岩製で、灯籠の 頂部の高い請(うけ)花(ばな)と長い茎を持った大きな宝珠(ほうじゅ)がか たどられているのが特徴で、「丹後型灯籠」と呼ばれています。加悦の 天満神社にも丹後型の石灯籠がありますが、やや趣きが違うようです。 竿(さお)には刻銘(こくめい)があり、『八幡宮石燈爐』『永和22年戌 午/匡頓/卯月18日願主』と読め、永和4年(1378)に作られた ことがわかります。室町時代の貴重な工芸品です。 600年を超える長い年月の間、暗闇の中、明かりを灯してきたこと でしょう。

八幡神社 石灯籠【はちまんじんじゃ いしとうろう】 ■時代 室町時代 永和4年(1378) ■場所 与謝野町字四辻 (八幡神社境内) ■指定等の状況 国重要指定文化財/工芸品 (昭和38年7月1日指定)

与謝野町教育委員会

GRP_0475.jpg

GRP_0481.jpg

享保年間(1720年頃)当四辻村の竹屋徳左ェ衛門夫妻は、 予て伏見稲荷の信奉者であった。 ある日夫妻は同じ夢を見た。 その中に白狐が現れ「私は中郡のものだが、伏見稲荷に使いに行き、その帰り道、 与謝峠で猛犬に 襲われて首に傷を負い此処まで逃げてきたが、この傷では生き延びられそうもない。 日頃信心深い貴方がたの屋敷の一隅を借りて死を迎えたい。 後々私の霊を供養してくれれば、その功徳に報いる為、人助けをしたい。 祠を建ててその回り に茶の木を植えて下さい。 その茶を飲めば、子宝に恵まれ安産できる他、万病に効くでしょう」と言って消えた。 夫婦が外に出てみると蔵の前に正に白狐が死んでいた。 夫婦は、夢と現実 の神秘に驚き早々にその所有地の《こてんじ》に葬り祠を建ててその回りに茶の木を植え大切に育 てた。 その約六十年経た寛政元年に伏見稲荷の摂社岩国稲荷の後分霊を勧請し、後、現地に移して今に及 んでいる。とある。

rps20110903_155447.jpg



GRP_0466.jpg

八幡神社末社恵比須(えびす)神社の本殿」

四辻地区のほぼ中央に位置する八幡神社の境内に、恵比須神社の本殿 があります。境内社のうち、最も古い建物です。 恵比須神社の本殿の創建の由緒については分かっていませんが、一説 に、「現(八幡神社)本殿を明治20年(1821)に新築したとき、 旧本殿を曳き移して恵比須神社本殿とした」と地元で伝えられ、八幡神 社の本殿の前身ではないかという考えもあります。 本殿は、八幡神社境内の西、五社神社と並んで東を向いて建っていま す。構造形式上も隅木入(すみきいり)春日造(かすがづく)りという類例の 少ない神社建築で、形式細部の手法の質も高く、神社建造物として歴史 的文化的な価値が高く優れた建造物と評価されています。 本殿の建立年代は、江戸時代中期(17世紀後半)で、内陣(ないじ ん)の扉板の裏には文化9年(1812)新調との墨書きが残り、屋根葺 き替えが行われたとの記録があります。近年にも自然災害により被害を 受けていますが、復旧に当っては可能な限り古材を再利用して原型を保 持しており、貴重な文化財を後世に残そうとする地元住民の努力が伺え ます。 本殿前には、珍しい「鯛」の狛犬が置かれており、恐らく、縁起の良 い「七福神の恵比須さん」にちなんで、作られたようです。 例年、4月の最終日曜日には加悦谷祭りが行われ、ここ八幡神社で は、本殿前で神楽が奉納されています。

恵比須神社本殿【えびすじんじゃほんでん】 ■時代 江戸時代中期 ■場所 与謝野町字四辻1番地 (八幡神社境内) ■指定等の状況 与謝野町指定文化財/建造物 (平成8年4月23日指定)

与謝野町教育委員会


GRP_0470.jpg

スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

南方系海人

Author:南方系海人
ブログへようこそ!
古代丹後には王国があり、近年の調査で少しずつ証明されつつあります。
また丹後には、素晴らしい自然と伝説が沢山あります。
7000以上もの古墳、遺跡、史跡を自分で歩き、古代からつづくロマン街道や、元伊勢、神社、古墳、山城を旅する記録です。元伊勢伝承地は全て廻ります。
郷土のコアな伝説は、現地に何度でも行って調査します。
私は歴史家でも考古学者でもありませんが、郷土を愛し、歴史を知りたくて開設しました。
ホームページでは無く、あくまでもブログです。
間違えた認識もあるかと思います。
自分が調査した事を纏め、日記帳として利用しています。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。