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幾地の地蔵山 中世の庶民火葬墓地

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与謝野町幾地とは江戸初期から現在までの地名で、 与謝郡加悦谷地域の岩屋川沿いに位置する 地区である。
幕末の世帯数は約100軒程度の村であったが、現在は450軒ほどになっている。
中世は伊久地だったのであろう。室町期の伊久地城跡がある。 この幾地区の南西部の山沿いに、歴史家に有名な地蔵山と呼ばれる中世鎌倉時代から南北朝期、 江 戸期まで続いた庶民の火葬墓地があり、京都府の史跡として登録されている。

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地蔵山遺跡には結衆15人・文明28年の銘のある宝篋印塔の他、五輪塔50基・阿弥陀如来109 体・地蔵菩薩像11体などが当時の状態で段築に並べられている。 平成16年度の記録では、382体もの石造物が林立していたとの事である。

また骨蔵器として使用された陶器・須恵器や土師器が出土している。 陶器は丹波または越前なのだそうである。 この地蔵山は、集団墓地として様々な形の墓が見られ、中世丹後地域の墓地を研究する上で、大変 貴重である。 丹後古代資料館刊行誌によると、13世紀頃の火葬を導入する塚墓が造営され、 これがきっかけと なり造墓活動が始まったという。
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今でこそ地元の有志による保存会が出来て、大変綺麗に清掃されているが、以前は草木が茂り、 鬱 蒼としていた。 京都府内は他の地域より盛大に地蔵盆が行われてきたので、地域の住人、子供達が、 相当な数のお 地蔵さんをここから運び出したと思われる。

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毎年、裏盆になると、地元の保存会の人達が万灯で供養をおこなっている。
幾地の町は幻想的な竹灯籠のほのかな灯りに包まれる。

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※宝篋印塔(ほうきょういんとう)は、墓塔・供養塔などに使われる仏塔の一種である。五輪塔と ともに、石造の遺品が多い。 本来、宝篋印心咒経(ほうきょういんしんじゅきょう)を納めたことによる。ただし、納めたもの を問わず、同形のものは、すべて宝篋印塔と呼ぶ。本来的には、 基礎に宝篋印心咒経の文字を刻む そうだ。 五輪塔と同じく密教系の塔で、鎌倉期以降、造立されるようになった。
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南方系海人

Author:南方系海人
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古代丹後には王国があり、近年の調査で少しずつ証明されつつあります。
また丹後には、素晴らしい自然と伝説が沢山あります。
7000以上もの古墳、遺跡、史跡を自分で歩き、古代からつづくロマン街道や、元伊勢、神社、古墳、山城を旅する記録です。元伊勢伝承地は全て廻ります。
郷土のコアな伝説は、現地に何度でも行って調査します。
私は歴史家でも考古学者でもありませんが、郷土を愛し、歴史を知りたくて開設しました。
ホームページでは無く、あくまでもブログです。
間違えた認識もあるかと思います。
自分が調査した事を纏め、日記帳として利用しています。

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