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日本最古の浦嶋太郎 宇良神社その二

浦嶋太郎


丹後には、日本最古の浦島伝説があり、 日本書記や丹後風土記にも登場する、史実を基にした伝説 である。 元々日本海側は、大陸からの表玄関であり、多くの人々が往来していた記録がある。 それは丹後伊 根の浦島伝説より以前から、当時の中国、朝鮮との国交があり、大陸からの文化が伝わり、 時代の 変化と共に移り変わっていく社会情勢や過程が伝説として残されたものである。 当時は新聞やテレビなど無く、口から口へ、耳から耳へと語り継がれてきたのだ。親が子に、 語り 部から人々に伝わった伝説。この浦島伝説は、丹後の歴史が隠されたとてつもなく大きい財産であ る。 今では東南アジアなどまで伝わり、丹後から世界の浦島伝説まで拡大したのである。 丹後半島の海岸線にいけば良くわかるが、朝鮮半島から漂流してきたペットボトルや家具、 買い物 袋が多く漂着している。古くは、蒲入遺跡では、縄文前期時代の丸木舟なども発見され、 日本最古 の舟の遺跡である。 朝鮮半島から船を流せば、九州ではなく、対馬海流に乗って、丹後半島や若狭湾に漂着する。 丹後半島から福井県にかけては、朝鮮半島との交流があった証明となる地名や人名が多くあり、 そ れは数え切れない。また丹後の人は、朝鮮系の顔の人が多く、朝鮮との文化交流や軍事的交流が絶 えず行われていたのは間違いない事実である。 さて、この宇良神社に伝わる浦嶋伝説であるが、幾つかの説があり、これを真剣に研究、 議論して いる歴史家の人が相当いて、ましてや考古学の貴重な資料なのだというのだ。 宇良神社には宝物館という、一見、怪しげな資料館があり、 恐る恐る訪ねてみたのだが、ここの神 主さんから、宇良神社の由来から浦嶋子(浦嶋太郎)の話を聞き、 あまりの奥深さに感銘してし まった。多くは語られないのであるが、浦嶋太郎の伝説は、 とてつもなく深い領域のようである。

《三国志》に登場する新羅の王、脱解について「脱解本多多婆那国所生。其国在倭國東北一千里」 とある。つまり、脱解は、倭國=日本の多婆那国=丹波国(古代丹後) の生まれとある。 また丹後一の宮籠神社には、古代、この丹後から一人が新羅に渡り、 新羅王になった伝承が残され ている。 つまり籠神社海部氏の先祖が、新羅の国王になっている。ということである。 この事からも、古代丹後と朝鮮との密接な繋がりがあり、 多くの朝鮮系移民が、この地に亡命した り、定住し、古代丹後王国の基盤が出来たと考えられ、浦嶋子(浦嶋太郎) 伝説は、このような歴 史的背景から残された大きな遺産なのである。

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浦嶋伝説の作者は誰か? 当時の丹後国司である伊預部馬養連(658~703)により執筆された。七世紀末と言われる。 この人物は、大宝律令の選定にも参画している。 丹後国司として丹後に入国したのは、当時、西日本の要所であった日本海側での反律令勢力への牽 制と異国防衛の為だそうで、朝鮮半島の混乱期でもある。 日本へのスパイ行為やら拉致、また亡命など、日本海を挟んで慌ただしく揺れ動いていた。 国の定 義も定かでなく、朝鮮半島の百済、新羅などが、倭國=日本を植民地化したり、亡命、移民してい たのである。 このような国際情勢の中で登場するのが浦の嶋子でであり、現在まで国民の知らない者はいない日 本国家のヒーロー浦嶋太郎なのであるが、さて、この浦嶋伝説だが、 この伝説には幾つもの隠され た説があるといわれている。 この伝説から浮かんでくる嶋子像は、 ①美しい女性への憧れ ②まだ見たこともなかった異国、そこには丹後国に無かった宮殿があった。 ③拉致被害者 ④女性に夢中になり遊ぶ日々だったが、ある日突然故郷を思い帰郷した。 ⑤水平線はるか彼方の蓬莱山に亀=舟に乗って行った。 ⑥生還し、玉手箱を開けたとたんお爺さんになり、死に至る。 ⑦邪馬台国時代、港などの監視職の事を「シマコ」と言っており、現在の海上保安官のような職で ある。

《古事記》に丹後の田道間守(たじまのもり)が天皇の命により、不老不死の果実を探しに常世の 国に行って帰還したが、すでに天皇は死んでいたので自殺した話がある。

《新撰姓氏録》によれば、「三宅連は新羅の王子、天のひぼこの後裔である。」とあり、三宅連 (みやけのむらじ)の先祖が田道間守(たじまのもり)なのである。

《御伽草子》の浦島伝説では、乙姫は小舟に乗り一人で現れた。難船したので助けてと、浦島太郎 に願う。浦島は十日間舟を漕ぎ続けて乙姫を故郷=新羅に帰した。 そして手厚くもてなされ、三年 間滞在した。

これらを総括すると、容姿端麗な浦の嶋子は、三日三晩、魚が釣れず、途方に暮れていたのだが、 突然、あまりにも美しい乙姫が小舟で現れ、 十日間かけて新羅の国まで行く。 向こうの国は、見たことも無かった宮殿があり、美しい女性が沢山いて、大層なもてなしを受け た。そこでいい思いをし、日本に生還したら、 お爺さんになっていたと想像出来るのだが、 帰還後 三百年もの年月が経っていて、伊根の水ノ江の生家は無く、途方に暮れて死んでしまうのだが、 雄 略天皇の時代から三百年後となると、丁度七百年代の八世紀であることから、浦の嶋子の末裔が、 日本に帰化したととれる。

また、美しい女性を小舟に浮かべ、一目惚れした嶋子が乙姫に近づき、そのまま拉致され、 新羅に 連行された。拉致された後は、当時の倭国=日本の情勢を調査する。何年間か監視体制の下へ置か れ、嶋子は恐怖と不安から白髪の老人になってしまう。 このような説が考えられるのだ。

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南方系海人

Author:南方系海人
ブログへようこそ!
古代丹後には王国があり、近年の調査で少しずつ証明されつつあります。
また丹後には、素晴らしい自然と伝説が沢山あります。
7000以上もの古墳、遺跡、史跡を自分で歩き、古代からつづくロマン街道や、元伊勢、神社、古墳、山城を旅する記録です。元伊勢伝承地は全て廻ります。
郷土のコアな伝説は、現地に何度でも行って調査します。
私は歴史家でも考古学者でもありませんが、郷土を愛し、歴史を知りたくて開設しました。
ホームページでは無く、あくまでもブログです。
間違えた認識もあるかと思います。
自分が調査した事を纏め、日記帳として利用しています。

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