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宇良神社(浦島神社) 日本最古、本家本物の浦嶋太郎

丹後には、日本最古の浦嶋伝説がある。
詳しくは伝説のカテゴリーに書くので、まずは、宇良神社のことからどうぞ。
日本最古の建築工法、神明造りの由緒ある神社。
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淳和天皇は浦嶋子の話を聞 き,小野篁を勅使として天長2年(825年)に 浦嶋神社を創建し「筒川大明神」として嶋子 を祀っている。
別名 宇良神社 浦島大明神 筒川大明神
鎮座地 京都府与謝郡伊根町本庄
祭神 浦嶋子(浦嶋太郎) 相殿神 月読神 祓戸大神

浦嶋神社は延喜式神名帳所載による と、「宇良神社」と記されている。創 祀年代は淳和天皇の天長二年(八二 五)浦嶋子を筒川大明神として祀る。 浦嶋子は日下部首等の祖先に当り、開 化天皇の後裔氏族である。その太祖は月読命の子孫で当地の領主である。浦嶋 子は人皇二十一代雄略天皇の御宇二十二年(四七八)七月七日に、美婦に誘わ れ常世の国に行き、その後三百有年を経て五三代淳和天皇天長二年(八二五) に帰って来た。 この話を聞き浦嶋子を筒川大明 神と名付け小野篁を勅使とし宮 殿を御造営された。この神社に 伝わる浦嶋物語は起源が最も古 く、八世紀初頭にできた丹後風 土記更に日本書紀万葉集などに 記載されている。又、古代より 崇敬の念は厚く誠に顕著なもの がある。 浦嶋子縁の地名 水之江里・筒川・曾布谷・今 田・雲龍山・布引滝・龍穴・白 鷺岬・かんこ川・舟繋岩 御神徳 縁結神・長寿神・農業神・漁業神・航海神・牛馬神・養蚕神 御祭日 祈年祭・延年祭 三月十六日夕宵宮・十七日午前九時より 例大祭 八月六日宵宮・七日午前九時より 御宝物 浦嶋明神絵巻(重文) 玉手箱(玉櫛笥) 乙姫小袖(重文)


丹後国風土記逸文による浦島太郎伝説

筒川の嶼子(水江の浦の嶼子) (丹後の国の風土記に曰ふ) 与謝の郡。 日置の里。

こ の 里 に 筒 川 村 が あ る。ここの民で、日下部の首らの先祖である、 名を筒川の嶼子という者がいた。生まれつき容 姿がすぐれて優雅なことはこの上なかった。こ れは、世間でいう水江の浦の嶼子という者であ る。以下の話は前任の国守である伊預部の連馬 養様が記している内容と矛盾するところはな い。よってこの昔話の概略をここに記すことと する。 長谷の朝倉の宮で天下を治められた天皇(雄 略)の御世のこと。嶼子は、一人で小船に乗っ て大海に漕ぎ出して釣りをしていた。三日三夜 が経過したが、一匹の魚も釣れず、ただ五色 (青・赤・黄・白・黒)に輝く亀を釣り上げ た。おかしなこともあるものだと思ってその亀 を船の中に置いたまま、まどろんだところ、そ の亀は突然女性に身を変えた。その顔は美しく て他と比べようもなかった。 嶼子は「人里から遠く離れ、この海上に人は 誰もいないのに、どうしてあなたはここへやっ て来たのか」と尋ねた。乙女はほほえんで「い い男がただ一人海に浮かんでいたので、親しく したいと思って、風と雲に乗ってやって来たの よ」と応えた。嶼子はまた尋ねた。「その風と 雲はどこから来たのか」。乙女は「天上に住む 仙人ですわ。お願いだから疑わないで。親密な 情愛をかけてください」と応えた。彼女が神の 娘であるとわかり、ここで嶼子は恐れや疑いの 気持ちをおさえることができたのであった。乙 女は「私の思いは、無窮の天地、永遠の日月と 共に、永遠に添い続けようと思っています。し かし、あなたはどう思っているのですか、諾否 の気持ちをまず聞きたいもの」と語った。嶼子 は「改めて言うことは何もない。どうして躊躇 しようか」と応えたのであった。乙女は「あな たが船を漕ぎなさい、常世の蓬莱山へ行きま しょう」と言った。嶼子はこれに従って船を漕 いだ。 乙女は(この世と常世との境界で嶼子を)眠 らせ、一瞬の内に海上の大きな島に到着した。 その島の様子は宝玉を敷きつめているように美 しいものであった。門外の高殿も門内の高殿も 全て照り輝いていた。この情景はこれまで見た こともなければ聞いたこともなかった。

手を取りあってゆっくりと歩みを進めて行く と、一軒の立派な家の門に到着した。乙女が 「あなたは少しの間ここで待っててね」と言っ て、門を開け内に入って行った。そこへ七人の 童子が来て「あっ、亀比売のつれあいだ」と語 り合った。また八人の童子が来て「あっ、亀比 売のつれあいだ」と語り合った。そこで乙女の 名が亀比売であるとわかった。そうこうするう ちに乙女が戻って来た。嶼子は童子たちの話を した。乙女は「その七人の童子はスバル星。そ の八人の童子はアメフリ星よ。別に不思議に思 わなくてよいわ」と言った。乙女は嶼子の前に 立って案内し、内へと進み入った。 乙女の父母がともに嶼子を迎え挨拶を交わし て座についた。乙女の父母は人の世と仙人世界 との違いを説明するとともに、人と神との奇遇 の喜びを語った。そうして数々の馳走を勧め た。兄弟姉妹たちも酒を酌み交わした。隣村の 幼女たちも血色のよい顔をして一座に加わっ た。仙界の歌は遠くまでよく響き、仙女の舞姿 はなまめかしいものであった。華やかな宴の様 子は人の世とは格段の違いであった。仙界では 日が暮れるということもわからなかった。た だ、たそがれ時には多くの仙人たちが徐々に退 散し、留まるのは乙女一人であった。ここに肩 を並べ袖を接して、夫婦となるのであった。 こうして嶼子は、元の世を忘れ仙人世界に遊 んで三年はうち過ぎてしまった。急に望郷の念 が起こり、ただ父母に恋い焦がれた。溜息はし きりに起こり嘆きは日々につのっていった。乙 女は「最近、あなたの様子を見るとただごとで はないわ。一体どうなっているのかしら、その 気持ちを聞かせてください」と声をかけた。嶼 子は「昔の人の言葉に、凡人は故郷を偲ぶと言 い、狐は故郷の山に頭を向けて死ぬとある。私 は作り話だと思っていたが、これが本来の姿だ と今になってわかってきた」と故事を踏まえて 応えるのであった。乙女は「あなたは帰りたい のね」と念を押した。嶼子は「私は親族から離 れ、遠い神仙世界に入ってきた。この人恋しさ にこらえきれず、あさはかなことを口走ってし まった。でもできることなら、暫くの間故郷に 帰り父母に会いたいものだ」と応えた。乙女は 涙を拭って嘆いて、「二人の思いは金属や石ほ どに固いと永遠を約束したのに、古里を懐かし むあまりに私を棄て去るということがどうして このようにあっけなくもやって来るのか」と言 うのであった。二人は手を取りあって思案に暮 れ、話し合っては嘆き悲しんだ。 とうとう二人は訣を翻して別れ、嶼子は故郷 への道に向かおうとした。乙女もその父母も親 族も皆一様に悲しんで見送った。その時、乙女 は愛用の美しい化粧の箱を取り出し、嶼子に与 えて、「あなたが最後まで私を棄てず、またこ こへ戻って来ようと思うなら、この化粧箱を固 く封じて絶対開けて見ないでね」と語るので あった。そこで二隻の船に分乗し、(乙女は境 界で嶼子を)眠らせ、一瞬の内に故郷の筒川の 郷に戻ってきた。さて村里を見回したが、人も 物も全てが移り変わり、とりつく島もなかっ た。 そこで里の人に「水江の浦の嶼子の家族は今 どこにいるのか」と尋ねた。里人は「あなたは 一体どこの人なのか。大昔の人を尋ねているの か。私が古老たちから聞いた話だが、『前代に 水江の浦の嶼子という者がいた。その男はただ 一人海原に漕ぎ出して二度と戻って来ることは なかった』という。既に三百年余がたつのに、 何で急にこんな話を持ち出すのか」というので あった。そこで茫然とした虚ろな心で故郷を探 し回ったけれども片親にさえ会うことができ ず、早くも一か月余が過ぎてしまった。嶼子は 美しい化粧の箱を愛撫して神の乙女に思いを馳 せるばかりであった。とうとう嶼子は以前の約 束を忘れ、発作的に化粧の箱を開けてしまっ た。すると突如かぐわしい香の匂いが風雲と共 に翻って、天上に昇って行った。ここで嶼子は 約束に反したことに気付き、乙女に会うことは もう難しいのだと悟った。後ろを振り返っては 佇み、涙に咽んで歩き回った。 そこで涙を拭って次の歌をうたった、その歌 は、 常世辺に……(常世のある方角に向かって雲が 棚引いている。水江の浦嶋の子の言葉を持って 雪が棚引いている) 神の乙女が雲の彼方を飛びながら、 長い声で歌っていった、その歌は、 倭辺に……(大和の方角に向かって風が吹き上 げ、その雲と共にあなたと離れて別れてしまっ ても、あなたは私を忘れないでね) 嶼子はまた恋しさに我慢できず歌をうたった、 その歌は、 子等に……(あなたに心ひかれて朝の戸を開け て私が物思いに沈んでいると、あなたがいる常 世の浜の波の音がここまで聞こえて来る) 後世の人が右の歌に続けて歌った、その歌は、 水江の……(水江の浦嶋の子の美しい化粧の箱。 もし開けなかったならもう一度会えたものを) 常世辺に……(常世のある方角に向かって雲が棚 引いている。(多由女)雲は次々と引き続いて あらわれるが、それだけでは乙女に逢うことも できず、私は悲しくなってくることだ)
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『丹哥府志』より

【浦島社】 本社(五間、三間)社の中央五 社を合せ祭る(五社は何の宮 を集めて五社とする審なら ず、俗に浦島太郎、曾布谷次 郎、伊満太三郎、島子、亀姫 の五人なりといふ未だ実否を しらず)其左右に随神各一座(冠服の制並に年歴を歴たる模様千年以下のものに あらず)社の下に狛犬一対、社の右に末社二社、右は豊受皇左は八幡宮なり、社 の正面に華表二基、華表の前に楼門あり、楼門の前に鞨鼓橋あり(長一間半横五 尺、擬法師あり、銘に寛文二巳年とあり、足音の?たる鞨鼓に似たり、よって 名とすといふ)門内右の方に手洗鉢一箇、手洗鉢の右に絵馬堂一宇、絵馬堂の右 に篭堂一宇、楼門の前右の方に二重の塔あり(元は三重なるよし)塔の前に皺ゑ の木あり、島子玉手箱を開きし所といふ。本社東の方に並びて寺の本堂あり、 本堂の東に客殿庫裏櫓を並ぶ、本堂の正面に鐘楼門あり、鐘楼門の右に宝蔵あ り、鐘楼門の左に惣門あり、門の続きに長屋を建つ、門の内に池あり、池の内 に弁財天を安置す、池の辺に石灯篭一柱銘に至徳二年己丑二月とあり。 神社考曰。丹後与謝郡 阿佐茂川明神者浦島子 也云。(阿佐茂川非与 謝郡也) 神社啓蒙曰。網野神社 在丹後国竹野郡阿佐茂 川之東網野村所祭之神 一座其下に引日本紀及 丹後風土記以為浦島 子。 愚按ずるに、以上二 書浦島の社を与謝郡筒 川の庄本庄村にありと せず、蓋神社啓蒙は神 社考の誤を受けて斯い ふなるべし。丹後風土記曰。与謝郡日置里に筒川村あり、筒川の島子といふも の姿容美秀風流たぐひなし、所謂水江の浦島子なりと云。丹後旧事記に其日置 といふに就て碇峠(本庄の南菅野谷より竹野郡宇川の庄へ越す峠なり)の名を引 き延喜式に所載の倭文の神社を此宮に当つ、少し率合するに近し。阿部公の撰 する新撰島子伝には此社を延喜式にある宇良の神社とす、宇良音韻も近ければ 穏なるに似たり、今これに従ふ。

社記曰。浦島明神は島子を祭る なり、島子は元いづれの人なる 事をしらず。偶然として筒川の 庄水江に来りて其長浦島太郎の 義子となる、浦島太郎は蓋月読 尊の苗裔にして日下部の祖な り。風土記履仲天皇四年始て国 史を置き尽く言事を記さしむ、 此時に当りて丹波国与謝郡筒川 の庄日置里に浦島太郎といふも のあり、月読尊の苗裔なり、故 を以てこれを長者とし国事をしるさしむ。其弟を曾布谷次郎といふ、次を今田 の三郎といふ、浦島曾布谷今田は地名なり、太郎、次郎、三郎は伯叔の次な り、太郎は履仲天皇反正天皇に二代に仕ふ、次郎は允恭天皇に仕ふ、三郎は安 康天皇に仕へて武術の聞えあり、安康天皇即位四年眉輪王帝を弑する時三郎こ れを防戦す、其功すくなからず(国史に日下部使臣其子吾田彦億計弘計の二皇孫 を奉じて難を丹波與佐に避るといふ恐らくは此人ならん)。 始め浦島太郎に子なし毎に之を 憂へて祷ること久し、一夜夢に 天帝より太郎を召して告げて曰 く、汝に天然の嗣子を与ふ謹而 嗟嘆することなかれ、翌日太郎 其妻と海浜に遊びて山水を弄 ぶ、偶一童子の姿容秀美なるを 見るよって問ふて曰、汝は誰家 の児ぞ、児の曰、我に親なく又 住する處もなし只天地の間のも のなり、於是太郎其妻と昨夜の 夢を語りて天の与ふる所の児は 誠に此児なりとて、遂に携へて 家に帰り養ふて以て子とす所謂島子なり。島子の人となり毎に山水を愛して高 くは山に遊び遠くは水に泛ぶ、一日釣を垂れて五色の亀を得たり、恍惚の間に 其亀化して淑女となり、五色の衣裳を垂れて玉笄象櫛悉く美を尽し従容として 島子に謂て曰、我は竜宮の乙姫なり願はくは君の為に枕席をすすめん、固より 一世二世の宿縁にあらずといふ、島子心にこれを異むといへども遂に乙姫と同 じく竜宮に至る。 始め竜宮に至る時七竪子門外に 跪きて島子を迎ふ、曰、我は昴 星なり、又竪子島子に向ひて我 は畢星なりといふて手をこまね き、島子を引て黄金閣より水晶 殿を経て真珠宮に入る。於是舅 姑恭しく出て島子を見る、曰、 我は乙姫の父母なりよく避る心 あることなく、永く先は偕に老 いよ、其言のおわる頃ほひ窈窕 たる一女子玉觴を捧げて舅姑の 前に置く、又一女子甘露羮を奉 じて其次に置く、舅姑其觴をとりてまづ少し喫みて島子に酬す、島子これをう けて又舅姑に献ず、其献酬の間伶人仙楽を奏す其冠服の制皆人間の見る所に異 なる、島子乙姫に問ふて曰、今楽をを奏する者は誰とかする、いわく、上位に ありて玉篇を吹く者は角星とす、次に金管をもつ者は元星とす、次を昏星と す、次を房星とす次を心星とす、次を尾星とす、各鐘鼓管籥を奏す。 既にして日々夜々の歓 楽人の得てする所にあ らず、荏苒として両三 年を過ぎたり、一日乙 姫と同じく鳳凰台に登 りて千里の外に眼を遊 ばしむ。於是島子愁然 として偶故郷を思ふ、 始め乙姫と同じく故郷 を廃せし日は釣を垂る とて家を出るなり、然 して遂に竜宮に来り荏 苒として既に三年斗も 過ぎたり、父母は定て 江魚の腹中に葬るると も思ふべし、おのれ独栄華を受るとも不孝の名を蒙りては天地の間に立つべか らず。ひとたび斯思ひしより種々の念慮心頭に上り遂に几に憑りて臥しぬ。乙 姫其不豫の色あるが如きを見て慇懃に其よしを問ふ、島子審に情の発する所以 を語る。乙姫其ゆゑんを聞て敢て留める事能はず、遂に島子を帰省せしむ。別 に臨て島子に玉手箱を与ふ、かたく戒めて曰、再び竜宮へ帰らんと欲せば必ず 此箱を開く事なかれと、よくかれに教へて島子を送る。島子将に帰らんとして 猶別を惜しみ涙を垂れて遂に臥しぬ、島子の心にしばし眠るかと思へば既に水 の江に着ける。 於是陸に上り其故郷を 見るに桑碧相変りて一 もしる所なし、偶一老 婆の衣を洗ふを見る (此處所謂鞨鼓橋なり) これに就いて浦島の所 在をを尋ぬ、老婆の 曰、我事既に一百七歳 我祖母の話に昔浦島太 郎といふものの子に島 子といふものあり一日 釣に出て遂に帰らずと いふむかし語りはあれ ども浦島太郎といふも のをしらずといふ。島 子自ら謂はく僅に三年斗と思ひしが今幾星霜を経たるをしらずみづから心を傷 ましむ、又浦島太郎の墓ありやと尋ぬれば、老婆大樹を指して此樹に浦島太郎 の墓に植ゑし樹なりと申伝ふ(所謂一本杉是なり)於是島子其樹の下に至りて久 しく哭泣すれども悶を遣るによしなく、彷徨して又老樹の下に至り、乙姫の与 へし玉手箱を出して如何なる物ぞとひそかに開けば、其中より紫雲出て其身忽 ち皺となり遂に其樹の下に死す(所謂皺ゑの木是なり)抑雄略帝廿二年秋八月海 に入り淳和帝天長二年に帰る、其間凡三百四十二年。

愚按ずるに、丹後風 土記又阿部公の撰する 新撰島子伝、社記と大 同小異あれども大意略 天長二年に帰るとあ り、天長二年は養老四 年より相後るる凡一百 六年、其養老四年に成 る日本紀及び聖武帝の 御宇に撰びし万葉集に 浦島子の事あり、天長 二年に帰るとするは杜 撰の甚しきなり。 日本書紀曰。大泊瀬幼 武天皇(雄略天皇)廿二年秋七月…略… 愚按ずるに、扶桑略記並近世水戸公の撰する日本史に載する所も此文と略相似 たり、皆島子釣る處の亀化して女となる島子其女と同じく蓬莱に至るといふ、 実に是事あり哉審ならず。又浦島子伝、続浦島子伝を見るに皆大意は相似た り、続浦島子伝始に島子の事を記し次に古風一篇をのせて次に七言絶句並和歌 各十四首を題す、始にのする所の文、古詩の序の如くに見ゆれども序文にもあ らず固より島子の伝にもあらず、まづ浦島の賦なり証とするに足らず。三才図 会には島子の至る竜宮を今の琉球ならんといふ、風土記の如きは徐福のいれま ぜたるに似たり。 或曰。億計、弘計の二 皇孫は市辺押磐の子な り、市辺押磐は履仲天 皇の皇子なり、始め安 康天皇市辺押磐は履仲 天皇の皇子なるを以て 立てて太子とせんと す、安康天皇眉輪王に 弑せらるる(安康天皇 の皇后は元大草香の妻 なり、根使主の讒によ りて大草香を殺し遂に 其妻を納れて皇后と す、大草香の子眉輪王 は皇后の生む所なれば宮中に養はる、眉輪王父の為に仇を復するとて帝を弑 す、皇弟其変を聞くより兵を率ゐて眉輪王を攻む、眉輪王遁れて大臣円の家に かくる、皇弟其家を焼く、眉輪王及円皆焼死、皇弟は則雄略帝なり)に及びて安 康天皇の皇弟市辺押磐を殺し遂に位に即く、是を雄略天皇とす、是時に当りて 市辺押磐の臣日下部使臣、億計、弘計の二皇孫を奉じて難を丹波與佐に避け、 後廿六年を経て播磨の国司来目部小楯其よしを以聞するによって億計、弘計の 二皇孫初て帰る、実に清寧天皇の三年なり。始め難を避けて丹波與佐にかく る、弘計年甫十歳、億計年十八歳、立て天子となる弘計卅八歳来目の稚子と称 す、位に在る僅に三年、年四十にして崩ず(顕宗天皇)皇兄億計王立て天子とな る、年四十九歳嶋郎と称す、位に在る凡十一年、年五十九歳にして崩ず(仁賢天 皇)。事は続日本紀に詳なり。蓋島子の蓬莱に詣りて数百年を経て帰るといふは 実は仁賢天皇雄略帝の難を避けて丹波與佐に詣り、数十年を経て都に帰り立て 天子となる、年四十九歳猶島郎と称す、於是知るべきなり、実に島子の事ある にあらずといふ。

愚按ずるに、仁賢天皇の即位よ り日本紀の成る養老四年に至る 凡二百卅三年、世の相距ること 未遠からず、斯の如きは皆世の 知る所なり、况や舎人親王日本 紀を撰するに豈其事を知らざら んや、然るに島子竜宮の事をの せて実は仁賢天皇の事なりと日 本紀にいはざるは何ぞ哉、抑当 時の事を言はざるは史の習ひな れば舎人親王万言に帰して其事 を露に言はざるか明に知る事能 はず、姑く録して後の撰物の参考に備ふ。 宝蔵目録 一、描金彩匣 一、滝金手箱 一、盥 五 一、點脂筆 十巻 一、櫛 十枚 一、円鏡 以上七品何人の寄 付なる事をしらず、俗に乙姫の 備具なりといふ。櫛十枚の内三 枚古代の物と覚ゆ、よって図を 以て別に示す。 一、玉篋(玉の周三寸斗)鈿匣に蔵 む、俗に乙姫島子に与ふ玉手箱 なりといふ。 一、小袖…略… 一、白磁…略… 一、仮面…略… 一、横笛 一管 一、鼓…略… 一、能登守教経矢柄…略…
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南方系海人

Author:南方系海人
ブログへようこそ!
古代丹後には王国があり、近年の調査で少しずつ証明されつつあります。
また丹後には、素晴らしい自然と伝説が沢山あります。
7000以上もの古墳、遺跡、史跡を自分で歩き、古代からつづくロマン街道や、元伊勢、神社、古墳、山城を旅する記録です。元伊勢伝承地は全て廻ります。
郷土のコアな伝説は、現地に何度でも行って調査します。
私は歴史家でも考古学者でもありませんが、郷土を愛し、歴史を知りたくて開設しました。
ホームページでは無く、あくまでもブログです。
間違えた認識もあるかと思います。
自分が調査した事を纏め、日記帳として利用しています。

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