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丹州皿屋敷 菊姫稲荷

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天橋立方面から宮津の市内に入り、中心部を過ぎて漁連があり、その先に何とも薄気味悪い小さな森がある。
この中に、「菊姫稲荷」があり、このお稲荷さんは、丹州皿屋敷なる怪談話の伝承地となっている。
あの有名な、番町皿屋敷、播州皿屋敷の怪談話の本家本物の皿屋敷の話である。




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丹州皿屋敷の話

丹州皿屋敷の話 この小社を「菊 姫稲荷」と称え、 俗に「お菊稲荷」 といわれている が、今から二百余 年前の宮津 城主青山氏の一族 に青山近江守幸澄 という者がおり、 その妾と家臣との不義密通から、養子鉄之助の自殺事 件へと発展した。この間、幾多の奇怪な事件もあった らしく、藩主青山氏これら事件のため、幕府から咎め られて美濃郡上へ転任を命ぜられた。この「お菊稲 荷」が、この青山氏の事件に関係あることは想像され るが、それが後年の戯作者によって、「番町皿屋敷」 等と、芝居ものに創作された経緯は明かでない。 けれどもこの有名な芝居「番町皿屋敷」と青山氏と の関係を考えると、それが宮津藩主時代の事件を材料 に創作されたことは首肯され、現にこの「お菊稲荷」 の西北百メートル付近に、「お菊井戸」もあったが、今 は埋められて跡形もない。そこで従来の「番町皿屋 敷」や「播州皿屋敷」というよりも、実は「丹州皿屋 敷」とでもいうべきだといわれ、ここ「菊姫稲荷」の 縁起も、これでほぼ明かなように思われる。 宮津市教育委長会


播州皿屋敷、番町皿屋敷の幽霊話が有名であるが、ここ宮津の皿屋敷話のほうが、古くからある。では何故
本家が有名でないのかであるが、藩主(城主)である青山が、この話を隠してしまったからである。臭いものには蓋をするのが、世の通例であろう。
どうも事実は、藩主青山候の一族である青山近江守幸澄が奥丹後の宇川二千石に分家していた。その妾と家老が不義密通をしていたのだが、幸澄が死亡したので、息子の鉄之助を宇川の跡継ぎとした。しかし、幸澄の妾と家老がすでに不倫していた上、妾が、自分の子を宇川分家の跡継ぎにしたかった。其のため、跡継ぎの鉄之助につらく当たった。
そこで、鉄之助は自殺してしまった。
宮津藩は、この一見を極秘に隠していたが、幕府に知られてしまう。家中取締不行き届きは、やがて政道を乱す基と、青山候は濃州郡上へ所替えとなったのだ。
この鉄之助の自殺話と別に、お菊を斬り殺して、この井戸に死体をほおり投げた話がある。
お菊稲荷から約二十メートルほど離れた場所に、古井戸があった。この井戸は、昭和四十年頃に埋められたと聞くが、この井戸が、お菊が斬られてはめられた古井戸で、幽霊がよく出るといわれた場所であるそうだ。
今でこそ道路が開通して車もよく通るが、昔は、人家も無い畑の中に井戸だけがあった。
江戸時代の宮津は、若狭、山陰道の要所であり、江戸や播州からの来客も多かった。この当地お菊の幽霊話を戯作者がもちかえり、その地の怪談話として、有名にしたのである。



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南方系海人

Author:南方系海人
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古代丹後には王国があり、近年の調査で少しずつ証明されつつあります。
また丹後には、素晴らしい自然と伝説が沢山あります。
7000以上もの古墳、遺跡、史跡を自分で歩き、古代からつづくロマン街道や、元伊勢、神社、古墳、山城を旅する記録です。元伊勢伝承地は全て廻ります。
郷土のコアな伝説は、現地に何度でも行って調査します。
私は歴史家でも考古学者でもありませんが、郷土を愛し、歴史を知りたくて開設しました。
ホームページでは無く、あくまでもブログです。
間違えた認識もあるかと思います。
自分が調査した事を纏め、日記帳として利用しています。

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