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山椒太夫 安寿と厨子王その三

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今でも和江には、厨子王丸がかくまわれた国分寺跡があり、 お堂がある。安寿姫と厨子王丸の別れ の水杯に使われた「ギボシ」の葉も生育している。


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平安時代のこの話、現代までも語り継がれてきた史実に基づく伝説であるが、 ある程度の脚色は仕 方が無いとしても、現代でもどこかの国の強制収容所を彷彿させるリアルな話である。 安寿の死亡説は二つあり、説経節によると、湯責め水責めの拷問の後、 炭火に焼かれて十六歳の一 期を終えるとある。 また、舞鶴のかつえ坂のあるこの地元での話は、山椒大夫屋敷を逃亡した安寿と厨子王は、 雪の中 を歩いて和江の国分尼寺に逃げ込む。しかし、僧侶から「屋敷を逃げた奴隷をかばうことは出来な い」と、拒否され、「では、せめて弟だけでも…」と、甲羅に入れてかくまってもらう。 安寿は一人 きりで逃亡し、かつえ坂まできたが、凍える寒さと衰えた体にはもう歩く体力などなく、 峠の途中 で息を引き取った。翌朝、通行人が安寿の遺体をみつけ、村人に知らせた。村人達が亡骸を運んで 村境の坂の下へ捨てた。という。 このあたりは今でも安寿を祀ると思われる祠があちこちにあるが、北近畿丹後鉄道の下をくぐり、 少し奥の池のほとりに、安寿姫の塚があり、供養塔が大切に整備されている。



母と安寿、厨子王が引き裂かれた直江津にも安寿と厨子王の供養塔があるそうだ。

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南方系海人

Author:南方系海人
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古代丹後には王国があり、近年の調査で少しずつ証明されつつあります。
また丹後には、素晴らしい自然と伝説が沢山あります。
7000以上もの古墳、遺跡、史跡を自分で歩き、古代からつづくロマン街道や、元伊勢、神社、古墳、山城を旅する記録です。元伊勢伝承地は全て廻ります。
郷土のコアな伝説は、現地に何度でも行って調査します。
私は歴史家でも考古学者でもありませんが、郷土を愛し、歴史を知りたくて開設しました。
ホームページでは無く、あくまでもブログです。
間違えた認識もあるかと思います。
自分が調査した事を纏め、日記帳として利用しています。

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