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古代と丹後

丹後の古代史は面白い。近年になって「丹後王国論」という言葉を耳にするようになった。

先日、伴とし子さんの講演会があり、テーマも古代丹後王国だった。
伴先生の講演はとてもロマンに満ちていて、丹後人であることに誇りを持てるようになったし、古代からの伝統や歴史に益々のめり込んでしまった。先人がのこした伝統や史跡を我々も受け継ぎ、次の世代へしっかりと渡していかなければならない。それは、史実や形ある物的な物、つまり口伝、家伝からはじまる地域の伝説や豊かな自然、村や町もしかりである。いつも山や川で遊び、口だけで自然を大切にといいながら、山深い川で魚を釣り、スキーや登山で自然破壊をしているのだ。しかし、道路も必要だし、大きくいえば都会も必要であるし、開発無しでは、生活はストップする。動物も食べなければ生きていけない。スキー場も夏の海も経済的に必要不可欠なのだ。

こんなことばかり考えていると原始人に逆戻りして、狩猟と木の実をたべていればいいのだが、現代人が荒れ地に放りだされたら何もできない。本当に自然でいいのかである。

いつもコンクリートやアスファルトに囲まれて生活していると、休日くらいは野山に出たくなるものだ。なにも思わず、化石燃料を燃やして、遥か数百キロ先の山や川で遊び、川で釣った魚を口にし、「あ~、ほんまに自然はええ、もっと自然大切に」と思って、都会にかえるのだ。

ええ~、自然を破壊しまくった都会で、「給料安いから、田舎なんぞかなわんわ」と、不自然な空間であくせく働いている人達が、「ほんまに自然を大切にしはるんでっか?」わしゃ、何だかさっぱりわからんわ。

まあ、何でもええけど、バランスが大切ですよ。都会と田舎、食うか死ぬかのバランスが。

 原始人は、獣をつかまえたり魚を捕ったり、木の実や草を食べていた。毎日が喰うだけで良かった。
木の実や獣が無くなると移動した。移動すればまた喰える。川や海の近くなら、魚もおるし、獣もおる。ほんじゃあ、ここでほったて小屋か、穴を掘って生活すればええ。へえーーじゃあ、畑でも作ろうか。
どうせ原始人なんだから、道もなければ車もにゃあ。何にもないから喰えればいい。

あ、そうか、獣も家畜も人間と一緒で、やることやれば増えるのだ。そうして、水があって住みやすい所で生活すればええ。ほんなら、住むのは川のそばええ。原始人は、家畜と僅かな農業で食べた。雨が降らなんだら雨乞いをした。太陽が照らなんだら空に拝んだ。そして、良いことがあっても、悪いことが起きても、神様のせいにした。

食料がすべてだった。喰うために、生きていた。でも恋愛もした。昔から、異性に惚れた。だから子孫が増えた。
喰うことだけが大切な原始人の悩みは、食料の確保と保存だった。腐るんですよ。腐る。冷蔵庫もなければ、何もない。採ったものを手で掴んで喰えば良かった時代は終わった。

原始人も考えた。木と木を擦り合わせて焼く。毎日焼けば腐らない。でも困った事に貯蔵庫がない。ほ~う、また考えた。入れ物作ればええ。赤土を固めろや。そして土器がでけた。でけた土器を焼いた。焼いたら崩れなんだ。崩れなんだら今度は炊けた。毎日炊いたら腐らない。こんな事で、茶碗も皿もでけた。

毎日こんな自然の中で生活していたが、いつからか船に乗った渡来人が大陸から来た。渡来人は九州北部、出雲、また対馬海流に乗って、丹後や北陸にも到来した。そして稲作を伝えた。渡来人はこの国が住みやすいと思い、定住した。また、祖国に帰りこの国を往来した。植民地化もしたし、時には喧嘩もした。恋愛もあり強姦もした。そして、縄文人と渡来人が融合して、弥生人が誕生した。

稲作は、朝鮮半島から伝わった。そして米という保存もきいて、とても美味い食料を手にいれた。人々は、水田を作りその土地に永住した。

米は、食料として最高の御馳走だった。弥生人にとって、稲はとても神秘的で、神の副産物だったのだろう。すべてが、この為に動いたのだ。お天道様も水も絶対に欠かせない事を人は誰でも知っていたし、いつも太陽や雲に拝んでいた。恵みも、死も神様が支配していたのだ。

丹後の峰山、比治山かいさなご山に八人の天女が舞い降りた。そして一人の天女が天に帰れなくなった。その残された天女は、とてもよく働き、米の作り方と酒の作り方を教えた。そしてその天女こそが豊受大神となり、弥栄の奈具神社に舞い降りた。ここから、丹後人の豊受信仰が始まるのだが、言い換えると、朝鮮から渡来した女性を拉致し、向こうの稲作と酒作りをさせた。あまりの有り難さに、この女性が神様のようだった。この恵みをもたらせてくれた女性は、穀物の神様だと信じた。豊=豊かな 受け=うかであり、宇賀である。五穀豊穣の女神なのである。

そして、この丹後の女神が、皇室の最高神である天照大神とともに、伊勢神宮にお祀りされたのだ。言い換えれば、丹後の最高神と邪馬台国(もしくは大和朝廷)の最高神が古代に祀られたのは、偶然では無く、古代国家の重要なキーポイントなのだと思う。

その話は後日書くが、渡来人は、もうひとつ、鉄という素晴らしい物を伝えた。鉄は、武器にもなり、工作にも都合が良かった。石器とは比べ物にならない道具だった。鉄を確保する為に、丹後では、水晶加工などの工房を造り、大陸の鉄製品と交換した。丹後のガラス工房は、国内最古最大の規模である。そして、日本最古の製鉄所も発見発掘され、大量の鉄製品を生産していた。


話は前後したが、そんな矢先、各地で定住した氏族が、やがて、水や農地の取り合いになり、大喧嘩が起きた。喧嘩はエスカレートし、弓や槍で人を殺した。弱い部族は降伏し、奴隷になった。氏族が部族になり、今度は部族と部族で大喧嘩した。これを戦争と言ったのかもしれない。奴隷にしていた者も一緒に戦った。そして、相手に勝てば地位が貰え、その下にまた奴隷ができた。そんな事が続いて、階級ができた。首長がいて参謀がいた。部族同士の争いごとは、ある所で線が引けた。それは山であり、大きな川である。それを境に国が誕生した。

国の中でも争い事は絶えなかっただろう。しかし、そこには、圧倒的な支配者や権力者がいた。それが王である。

支配力があるから、物や穀物を作らせた。生産性が上がり貿易ができた。そして、いち早く武器を取り入れ、その対価として、水晶などの加工品を大量に輸出した。貿易をするには、航海術が必要だった。丹後の海人族は、すべてを兼ね備えていたのだ。
王は、強いだけでなく、カリスマ性もあったのだろう。人々から信頼されて支持を得ていたに違いない。
そんな王が、邪馬台国以前に丹後には存在していたのだ。そして倭の国、大和朝廷を築く原動力になった。
ここからは、多くの文献や、物的証拠が存在するので、現地を調査しながら、ブログを進めたい。

丹後王国は、日本海側で最大の古墳と、6000もの墳墓、古墳があり、古墳密度は全国一である。

地域独自の王権と支配体制があり、独自の信仰、イデオロギーがある。
ある程度、一定の政治領域が確定できる。また王に支配力、軍事力がある。
高い生産力があり大陸と貿易していた。


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プロフィール

南方系海人

Author:南方系海人
ブログへようこそ!
古代丹後には王国があり、近年の調査で少しずつ証明されつつあります。
また丹後には、素晴らしい自然と伝説が沢山あります。
7000以上もの古墳、遺跡、史跡を自分で歩き、古代からつづくロマン街道や、元伊勢、神社、古墳、山城を旅する記録です。元伊勢伝承地は全て廻ります。
郷土のコアな伝説は、現地に何度でも行って調査します。
私は歴史家でも考古学者でもありませんが、郷土を愛し、歴史を知りたくて開設しました。
ホームページでは無く、あくまでもブログです。
間違えた認識もあるかと思います。
自分が調査した事を纏め、日記帳として利用しています。

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