スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

檜原神社  元伊勢参詣第五番

rps20110727_184645.jpg

精霊に注目。驚きの写真です。








rps20110727_184507.jpg



檜原神社

次に参拝した元伊勢は『檜原神社(ひばら じんじゃ)』です。
同じ三輪山の麓にあるのですが、初めて訪れると大変わかりにくい。
大上神社からは、徒歩か、自転車がいいだろう。山野辺の道は歴史街道である。



奈良の寺社観光ガイド > 山の辺の道より

元伊勢の「倭笠縫邑」があった場所です

大神神社から、山の辺の道を歩いて30分弱の距離にある『檜原神社』。

ここは、それまでは宮中に祀られていた天照大御神を、初めて外で祀っ た「倭笠縫邑(やまとかさぬいむら)」の地と考えられています。ここ から全国にある「元伊勢(もといせ)」の地を移動し、現在の伊勢神宮 (内宮)に祀られるようになった、その出発点とも言うべき場所に当た ります。

(元伊勢)檜原神社と豊鍬入姫宮の御由緒

大神神社の摂社「檜原神社」は、天照大御神を、末社の「豊鍬入 姫宮(とよすきいりひめのみや)」(向かって左の建物)は崇神 天皇の皇女、豊鍬入姫命をお祀りしています。

第十代崇神天皇の御代まで、皇祖である天照大御神は宮中にて 「同床共殿(どうしょうきょうでん)」にお祀りされていまし た。同天皇の六年初めて皇女、豊鍬入姫命(初代の斎王)に託 され宮中を離れ、この「倭笠縫邑(やまとかさぬいむら)」に 「磯城神籬(しきひもろぎ)」を立ててお祀りされました。そ の神蹟は実にこの檜原の地であり、大御神の伊勢御遷幸ののち もその御蹟を尊崇し、檜原神社として大御神を引続きお祀りし てきました。そのことより、この地を今に「元伊勢」と呼んで います。

檜原神社はまた日原社とも称し、古来社頭の規模などは本社で ある大神神社に同じく、三ツ鳥居を有していることが室町時代 以来の古図に明らかであります。

萬葉集には「三輪の桧原」とうたわれ山の辺の道の歌枕とな り、西につづく桧原台地は大和国中を一望できる景勝の地であ り、麓の茅原・芝には「笠縫」の古称が残っています。

また「茅原(ちはら)」は、日本書紀崇神天皇七年条の「神浅茅 原(かむあさぢはら)」の地とされています。更に西方の箸中 には、豊鍬入姫命の御陵と伝える「ホケノ山古墳(内行花文鏡 出土・社蔵)」があります



檜原神社は元伊勢らしい雰囲気があります。境内の案内板にもその由緒が記されています。
檜原神社の鳥居。珍しい三つ鳥居と呼ばれる形式です。大神神社と同様に、2本の柱にしめ縄を渡す。

「三ツ鳥居」という形式を残す『檜原神社』、御 祭神は天照大神若御魂神・伊弉諾命(いざなぎのみこと)・伊弉冊命 (いざなみのみこと)。向かって左手が「豊鍬入姫宮(とよすきいりひめ のみや)」です

「第十代崇神天皇 の御代、それまで皇居で祀られていた「天照大御神」を、皇女・豊鍬入姫 命に託し、ここ檜原の地(倭笠縫邑)に遷しお祀りしたのが始まりで す・その後、大神様は第十一代垂仁天皇二十五年に永久の宮居を求め各 地を巡幸され、最後に伊勢の五十鈴川の上流に御鎮まり、これが伊勢の 神宮(内宮)の創祀と云われる」

rps20110727_184555.jpg


鳥居と境内の空間に写る精霊(白く丸いもの)驚きました。
また、私のような霊感の乏しい者でもパワースポットを感じました。
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

南方系海人

Author:南方系海人
ブログへようこそ!
古代丹後には王国があり、近年の調査で少しずつ証明されつつあります。
また丹後には、素晴らしい自然と伝説が沢山あります。
7000以上もの古墳、遺跡、史跡を自分で歩き、古代からつづくロマン街道や、元伊勢、神社、古墳、山城を旅する記録です。元伊勢伝承地は全て廻ります。
郷土のコアな伝説は、現地に何度でも行って調査します。
私は歴史家でも考古学者でもありませんが、郷土を愛し、歴史を知りたくて開設しました。
ホームページでは無く、あくまでもブログです。
間違えた認識もあるかと思います。
自分が調査した事を纏め、日記帳として利用しています。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。