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大浦半島の古刹 多禰寺

飛鳥時代最古の古刹、多禰寺を拝観しました。
国の重要文化財金剛力士像は木造として、東大寺に次ぎ日本で二番目の大きさを誇ります。

舞鶴湾を眼下に景勝の地にあるこのお寺は、医王山多禰寺と称し、当地に初めて仏教を伝えた飛鳥時代最古の古刹です。

今を去る事千三百年の昔、両丹を支配した豪族が乱を起こし、時の帝 用明天皇は第三皇子麻呂子親王に追討の勅命を下し、激しい戦も大江山(与謝の大山)の攻防を最後に平定されました。

世の不安を願う親王は、譲持仏の薬師如来を本尊に鎮護国家の道場として多禰寺を創建されました。往時は七堂伽藍の瓦が山並みに映え、七仏薬師の霊場として香煙が絶ゆことなく、門前市が軒を連ね賑わいました。

栄枯盛衰は世のならい、時代の変遷に壮大な姿は影を潜めました。然しいまもなお風光明媚な山懐に庶民の薬師信仰は息づいて居ります。歴史の風雪に耐え抜いた證として数多くの現存する文化財は訪ねる人々に語りかけ、偲ぶ事が出来ます。《多禰寺パンフレットより》

『多禰寺縁起』

用明天皇2年(587年)、聖徳太子の弟、麻呂子親王(まろこしんのう)の開基。父・用明天皇の命を受けた麻呂子親王は、庶民を苦しめた鬼賊(与謝の大山、三上ヶ岳に住む英胡、軽足、土熊)を「七仏薬師の法」の力で平らげ、その加護に報いるため、丹後の国に七箇所の寺を建て、七仏薬師像を安置した。その中で、親王の護持仏であった第七薬師瑠璃光如来を本尊としたのが当寺で、医王山多禰寺と名付けられた。

現在は真言宗東寺派に属し、西国薬師四十九霊場30番札所として、風光明媚な自然の山懐にたたずんでいる。 また、奈良時代〜平安時代などの貴重な文化財を、当初の像容で遺存されている。
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南方系海人

Author:南方系海人
ブログへようこそ!
古代丹後には王国があり、近年の調査で少しずつ証明されつつあります。
また丹後には、素晴らしい自然と伝説が沢山あります。
7000以上もの古墳、遺跡、史跡を自分で歩き、古代からつづくロマン街道や、元伊勢、神社、古墳、山城を旅する記録です。元伊勢伝承地は全て廻ります。
郷土のコアな伝説は、現地に何度でも行って調査します。
私は歴史家でも考古学者でもありませんが、郷土を愛し、歴史を知りたくて開設しました。
ホームページでは無く、あくまでもブログです。
間違えた認識もあるかと思います。
自分が調査した事を纏め、日記帳として利用しています。

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