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志貴御懸坐神社 元伊勢参詣第三番

志貴御懸坐神社




磯城瑞籬宮跡


志貴御懸坐神社(しきのみあがたにいます神社)

志貴御懸坐神社は、古代大和国の中心地、つまり、三輪山の麓に鎮座する。
場所を探すのに一苦労する。桜井市の天理教会の、ちょうど真裏である。
なんと、この元伊勢伝承地は丹後のアメノホアカリ(海部氏の祖、にぎはやひの別名)大和国の祖である天津神饒速日命(あまつ神、にぎはやひの みこと)を祀る式内社である。

あまりに薄暗くて不気味だ。境内には崇神天皇の磯城瑞籬宮(しきみづがきのみや)の跡 地を示す石碑が建っている。

ご祭神が 、神武天皇より先に大和にいた饒速日命(にぎはやひのみこと) であること、その上崇神天皇といえば、実質の大和朝廷初代天皇である事から、この神社は、古代丹後丹後王国と大和朝廷とのかかわりが浮き上がる貴重な社だと思う。ここは、崇神天皇の皇居があった場所であり、その地に、丹後海人族海部氏の祖神が祀られているのだ。
志貴御県坐神社は、地元では「しきの宮さん」の名で親しまれているそうである。
このような神社を維持するのは本当に大変な事だと思うが、古都奈良県でもあるし、なんとか維持して戴きたい。
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第10代崇神天皇しきのみずがきのみや 磯城瑞籬宮 の跡地とされるが、実際の宮跡はこの神社の境内ではなく、境rps20110727_102143.jpg
内の西側にある天理教会の建物とその 隣りの三輪小学校のあたりにあったのではないかと推定されている。

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伊勢鳥居は、伊勢の正銘であり、天皇陵も伊勢鳥居である。

大和朝廷の創始者である崇神天皇は、事実上の初代天皇といわれており、神武天皇と 同じく「ハツクニシラススメラミコト」と称されていること、そして、年代的にも、当時の歴史的背景からもほぼ確実だろう。
また、第九代開化天皇の妃が、丹後の竹野姫であることから、邪馬台国が大和に存在し、大和朝廷と深い繋がりがあったとするのであれば、古代丹後王国が、大和朝廷を造る大きな原動力になっていたのではないか。

崇神天皇は、ニギハヤヒが大和に入るまでからの、三輪山の大物主神を祀り、太田多根子に拝ませた。
また、元伊勢伝承である、天照皇大神と倭大国玉神(やまとのおおくにたまのかみ)の二柱を宮中から他へ遷宮の旅に出した。
元伊勢の旅は、丹後国と大和国の遺産であり、古代史の秘密が隠されているのだ。


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南方系海人

Author:南方系海人
ブログへようこそ!
古代丹後には王国があり、近年の調査で少しずつ証明されつつあります。
また丹後には、素晴らしい自然と伝説が沢山あります。
7000以上もの古墳、遺跡、史跡を自分で歩き、古代からつづくロマン街道や、元伊勢、神社、古墳、山城を旅する記録です。元伊勢伝承地は全て廻ります。
郷土のコアな伝説は、現地に何度でも行って調査します。
私は歴史家でも考古学者でもありませんが、郷土を愛し、歴史を知りたくて開設しました。
ホームページでは無く、あくまでもブログです。
間違えた認識もあるかと思います。
自分が調査した事を纏め、日記帳として利用しています。

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