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高倉神社と和田地名 舞鶴市

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【高倉神社と和田地名】
《高倉神社由緒略記》
 氏神 高倉神社(京都府舞鶴市大字長浜鎮座)
御祭神 誉田別尊(応神天皇) 天児屋根尊(春日大神) 菅原道真(天神様)
    御神像 鎌倉時代の御神像で丹後地方の神像中、最も古いものの代表的な神像である。
    昭和五十九年 舞鶴市第五次指定文化財に指定される。
    昭和五十九年度に御神像の保全補修事業を施工する。
御由緒
 創立年代はよほど古く随神像が藤原時代(約千年前)の作であることでも偲ばれる。鎌倉時代(約八百年前)には既に正三位の神階(かみさまの位)を叙けられた近郷有数の神社である。弓矢の守護神として、往昔から近郷武将の崇敬も厚く天正六年には南部膳行社殿を建立し、次いで天正十二年には若狭和田の領主、岡本元幸が田畠を寄進するなど報賽(願の成就せる御礼に物を御供すること)の事蹟が多い。氏子は江戸時代には下安久、和田、長浜、余部上、余部下、北吸の六ヶ村に亘り神社奉仕に努め、天文六年、天徳五年、文政五年に両三度に亘り社殿を建替え、宝暦四年には入木道(書道)の宗家持明院家に社額の揮毫を請うなど社頭の整備に力を尽した。
宝物
随神像四体 (昭和六十年に保全補修事業を施工する)
社号額一面 (持明院筆)
宝刀一口 (銘直鋼)
宝槍一本 (銘波平昌行)
高麗犬一対 (木彫)
古文書一括 (天正十二年、宝暦四年等の古文書)
書簡一巻 (社号額揮毫に関する往復書簡)
高麗犬一対 (安久焼、舞鶴市第一次指定文化財に指定される)
棟札三枚 (天文六年、正徳五年等の標札)
出土の壷 (古丹波焼)
境内坪数 千三百十一坪 山林六百三坪
氏子   余部上、余部下、長浜、和田、下安久、北吸の六ヶ村(現在は中舞鶴地区三十自治会が管理)
建物   本殿、幣殿、拝殿、神輿庫、社務所、篭堂、手洗舎

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境内社
 稲荷神社 高倉稲荷大明神
 五ツ森神社 御祭神 保食神、大山祗神、日本武尊
 天満天神社 絵馬奉納社
 十二月栗神社(しはすぐり)
  此の神社は今から四百八十年前の長享戌申年大聖院智海子の丹後風土記に『往昔、稚産霊神所植、而歳十二月朔日生花仝二十日結実、正月元旦取其実、以奉大神、至今其例不差』云々と記されている五穀豊穣の神様である。
此の神社は初め長浜海岸に沿うて約一粁ばかり東の端、今の京大水産学部の正門左側にあったが昭和三年海軍爆薬部用地になったので現在の所に遷座したのである。
分社
若宮神社 舞鶴市余部上小字四四六番地ノ二鎮座
 往昔、余部上村に悪疫がはやり多数の人が日参したり、御百度参りをするのに本社が遠くて不便なので此処に分社を祀り祈願したのが創めである。分社の年代は明らかではないが宝暦十年(二百八十年前)の余部上の古地図には既に誌されている。
記念物・明治二十七年(西暦一八九〇年)日清戦役の咸海衛の海戦に於て敵弾を受けた水雷艇の一部
境内史蹟
神石
 往昔より里人この石を以って主祭神の憑依られたものとして崇敬し此の石を跨ぐ事を許さず、之を犯したものは必ず祟ありと言い通行人は之を避けて渚に沿いて歩行したと云い伝える。一名鞍掛石とも云う。戦国時代此の付近一帯が郷土の練武場であった事が社記に誌されている。思うに主祭神が此の石に鞍を掛け馬上姿となって練武を鼓舞せられたのであろう。
此の神石は元裏山近くの海岸にあったが軍の施設拡張の為海岸一帯が埋立てられた際、其の一部を取毀ちて境内に移したものである。
記念物
当地方が舞鶴鎮守府設置に指定されるや有栖川宮?仁親王が現地調査に来られた途次、明治三十一年八月五日御参拝の光栄を記念して此の碑を建てる。
其他
上古は後方の山上に鎮座されていたが近海を航行する船は必ず帆を降すこと、これを守らない船は難波のおそれがありと云う、それであらたかな神威をおそれて現在の所に移したと云い伝えられている。
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明治初年迄大祭には北吸、余部上、余部下、和田、下安久、吉原から舟で太鼓、大刀振が高倉神社に練り込み宮本(長浜)も合せて大刀振を奉納し技を競ったものである。
昭和六十一年十月十二日
 高倉神社御鎮座八百年記念祭を施工する
    昭和六十三年七月吉日


《和田という地名》
和田という地名は、全国各地にあるようですが、特に西日本の海岸沿いに集中しているのが特徴です。
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海をあらわす日本の古語「わた」と関連が深いとされ、過去に水害を受けた広大な平地にこの名前がつけられている場合が多いのだそうです。

古代人は、海神の事を、『綿津見の神』と呼んでいました。

海神(わたつみ)・綿津見(わだつみ)とは海の神の事を言い、転じて海・海原そのものを指す場合もあるそうです。

辞書を引くと、「ワタ」は海の古語、「ツ」は「の」、「ミ」は神霊の意であるので、「ワタツミ」は「海の神霊」という意味になる。とあります。

綿津見神を祀っていたのは、海部と呼ばれる航海民で、漁業や交易で生計を立て、また大和朝廷の水軍として武力も行使していました。

綿津見神を祀った海部の居住地には『和田』地名が多く、丹後、若狭、また神戸にも和田岬などがあります。
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《加佐郡誌》

高倉神社
祭神  (左側)春日大神(天児屋根命)  (中央)誉田別尊(応神天皇)  (右側)天満天    神(菅原道真)
由緒  創立年代は詳でないが上古は後方山上に鎮座されていて辺海を航行する者が神威を畏れたから今の地に遷座し奉ったと伝えられて居る。当社は本郡著名の古社で維新以前までは旧記も沢山あったということであるが今は何も残っていない。併し天文六年の棟札が今に保存されて居るので古社であるという事は明である。天正12年若狭高浜の城主同国和田の城主岡本主馬之介が余部付近を占領したとき社地壹町六段余を没収して更に田畑壹段余を寄進した旨社記にある。又其後右岡本某社殿を新築したことも社記に見えて居る。次で230余年を経て社殿が廃頽したので文政五年に再建した。
 往昔氏子は長浜和田下安久余部上余部下の六ケ村で接近漁師町(吉原)から毎年九月十日祭礼を掛けたこと文化年中行事に記されている。現在の氏子戸数は二千三百九十六戸で例祭は毎年八月14日であったことが近年十月17日に改め私祭は七月30日に行われる。
境内神社 一社 (祭神 保食神 大山祗神 日本武尊)



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南方系海人

Author:南方系海人
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古代丹後には王国があり、近年の調査で少しずつ証明されつつあります。
また丹後には、素晴らしい自然と伝説が沢山あります。
7000以上もの古墳、遺跡、史跡を自分で歩き、古代からつづくロマン街道や、元伊勢、神社、古墳、山城を旅する記録です。元伊勢伝承地は全て廻ります。
郷土のコアな伝説は、現地に何度でも行って調査します。
私は歴史家でも考古学者でもありませんが、郷土を愛し、歴史を知りたくて開設しました。
ホームページでは無く、あくまでもブログです。
間違えた認識もあるかと思います。
自分が調査した事を纏め、日記帳として利用しています。

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