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麓神社


【麓神社】
美しい天橋立を眼下に望み、弘計、億計をお祀りする古社

五世紀の終わり、眉輪の乱に始まり、皇位継承争いが熾烈化し、雄略天皇は、皇位継承候補者を次々と暗殺。
弘計、億計の二人の皇子は、難を逃れる為、家臣日下部使主に連れられ、丹後半島に向けて逃走した。
そして豊受大神を祀る丹後の豪族に助けを求めた。
丹後海人族、日下部氏の先祖の一人、浦嶋子(浦島太郎)の弟、今田三郎により匿われた。
のちの顕宗天皇と任賢天皇である。


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日本三景、天橋立籠神社の東側の山裾に、弘計、億計の逃亡地伝説の麓神社が鎮座します。とても静かな場所で、二本の太い古木が、かなりの歴史を感じます。
ここ難波野村は、弥生期の方形貼石墓や条里制遺構が出土しています。
丹後は、日本海側では出雲の四隅吐出型墳墓は、一基も存在しない地域です。

麓神社には飯遣福(いかりふく)・居在福(いありふく)という習俗が残り、これは雄略天皇に追われた市辺押磐皇子の子、億計皇子・弘計皇子が一時「余社郡=与謝郡」の当地へ避難した故事にちなみ、両皇子を祀った当社へ毎年11月20日に赤飯を供えて、それを氏子が分けあうものだそうです。

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『丹後路の史跡めぐり』より引用
麓神社(ふもとじんじゃ)
 府中の東、灘波野部落に麓神社とよぶ小さな社がある。
 ここには億計、弘計二皇子を祀っている。安康天皇の代、四五六年に眉輪王(まゆわのきみ)の乱というのが起きた。允恭(いんぎよう)天皇の皇子穴穂命は兄の軽皇子を殺して帝位つき、安康天皇となったが大草香命を殺しその妃蔕姫を奪って自分の妃としたため、大草香の子眉輪王は父の仇と天皇を殺した。天皇の弟雄略は眉輪王を殺し、さらに帝位のじゃまになる履中天皇の皇子市辺押磐王(いちのべのおしわのきみ)を蚊屋野(かやの)に殺して天皇の位についた。そこで身の危険を感じた日下部使臣と子吾田彦は億計、弘計の二皇子とその母クサカンムリに夷姫(はえひめ)をつれて与謝へ逃れ、灘波野にかくれた。母のクサカンムリに夷姫はこの冬病死し、日下部使臣も前途を悲感して自殺した。
 弟弘計はここで小野姫をめとって妃としたが、追々と身近に危険が迫ったので、大内峠より三重長者五十日真黒人を頼って落ちていく。ちょうど村人はぼた餅を差し上げようと準備していたのが、あまり出発が急なため、小豆を炊きたての餅米の中へ投げ入れて差上げたので、その風習が残っている。
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南方系海人

Author:南方系海人
ブログへようこそ!
古代丹後には王国があり、近年の調査で少しずつ証明されつつあります。
また丹後には、素晴らしい自然と伝説が沢山あります。
7000以上もの古墳、遺跡、史跡を自分で歩き、古代からつづくロマン街道や、元伊勢、神社、古墳、山城を旅する記録です。元伊勢伝承地は全て廻ります。
郷土のコアな伝説は、現地に何度でも行って調査します。
私は歴史家でも考古学者でもありませんが、郷土を愛し、歴史を知りたくて開設しました。
ホームページでは無く、あくまでもブログです。
間違えた認識もあるかと思います。
自分が調査した事を纏め、日記帳として利用しています。

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