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幾地 深田神社の調査

【深田神社の調査】

深田神社の建立時期の調査をすることになりました。

野田川町誌
深田神社 幾地小字新宮(元小字深田鎮座)
和久産巣日神または、若御魂神(ワカミタマノカミ)を祀る。
「御名義は、平田篤胤の説に『稚(ワカ)とし申す故は、御子豊宇気姫神(トヨウケヒメノカミ)に至りて穀物は成り出でたるなるを、此神はその産霊(ムスビ)の御徳を保持ち絵へるのみにて、未だ成し終へ給はざりしかば、豊字気姫神の神徳の広く大なるに対して、御親神なれども稚とは申ししなるべし。』とあり。」(大日本神名辞書)とある。神像はみずら童子形、室町期の作。大祭は、四月二十五日である。
 特殊な信仰崇拝として、米の粉で蚕の繭の形のものをつくり、これを神前に供える。麦、稲米を供える風習がある。これは、祭神が、養蚕穀物の神であることに由来している。
 余興として、江戸時代になってから能狂言があり、神楽による五穀豊穣の祈念も行なわれた。そのため、みこしが元宮祉の小字深田まで出向き、途中小字柳町に休憩所を設けていた(五・四メートル四方の石垣をめぐらし、杉が一本植えてあった)。 この休憩所は、道路工事のため、明治十六年取除かれた。また境内裏には、田地があったが、現在は荒地となっている。境内に保志奈、玉木、赤良の各祠がある。小字山王に日吉神社、小字平石口に狭田彦神社、小字新宮に愛宕神社、小字城山に稲荷神社の各社がある。
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創建は町誌によると七百年とあるが、実に曖昧です。
昭和二年の丹後大震災により、村は全戸全壊、灰になっており、その後の資料は、何も残っていません。
解っていたのは、
①御神搭に文化四年、坂根平右衛門
②彫刻に丹州相野安右衛門とある。
③本殿を建てたのが、冨田盛広と伝わる。
④鳥居に当時の世話人の名前が掘られている。
⑤江戸期文化年間に三河内から遷宮されたらしい。
以上により、江戸末期~明治にかけて建立した可能性が高いのですが、正確には分かりませんでした。
丹州相野安右衛門、坂根平右衛門、全て明治まで生きているので、深田神社本殿の江戸建立が、証明できません。
相野氏については、福知山市京町の彫刻師だったと判明し、数ヶ所の神社や資料を調べましたが、活動時期が、江戸~明治を跨いでおり、これ以上の調査は難航。
三河内地区にも深田神社の資料は全く無く、途方に暮れていました。
残すは冨田盛広なる宮大工さんです。
資料館、図書館、書店などを駆けずり回り、ついにゴールが見えて来ました。
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南方系海人

Author:南方系海人
ブログへようこそ!
古代丹後には王国があり、近年の調査で少しずつ証明されつつあります。
また丹後には、素晴らしい自然と伝説が沢山あります。
7000以上もの古墳、遺跡、史跡を自分で歩き、古代からつづくロマン街道や、元伊勢、神社、古墳、山城を旅する記録です。元伊勢伝承地は全て廻ります。
郷土のコアな伝説は、現地に何度でも行って調査します。
私は歴史家でも考古学者でもありませんが、郷土を愛し、歴史を知りたくて開設しました。
ホームページでは無く、あくまでもブログです。
間違えた認識もあるかと思います。
自分が調査した事を纏め、日記帳として利用しています。

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