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天照玉命神社

【天照玉命神社】
福知山市から青垣に抜ける今福旧街道の静かな森の中に、鎮座する大きな社が、天照玉命神社です。

丹後は、尾張系海神天火明命を祖神と仰ぐ海神国であり、古代の但馬、丹波、丹後の3国を田庭といい、四世紀~五世紀にかけては、大丹波王国言われるほどであり、大和政権と比肩するほどの強国だった。
丹後一の宮籠神社がその本宮といわれます。
その一の宮籠神社海部氏の兄弟神社が、この福知山に鎮座する天照玉命神社と、西舞鶴のヤハラ神社である。
神社の東北に、鳥ヶ岳と鬼ヶ城があり、それらの山と天照玉命神社を結ぶ延長線上に、穴裏峠があり、峠の先に神野神社が鎮座する。
神野神社の祭神は別雷命といわれ、天火明命をさす。
夏至のときに、神社から見ると 鳥ヶ岳と鬼ヶ城の間ぐらいから太陽が上がり、この二者の延長線上に、穴裏峠があ り、太陽はここに没する。近くに阿光照社があり、この神社は、もと天照玉命神社と言われて います。
天照玉命神社は太陽の動きの上に測量して作られ たことになるそうです。
鬼ヶ城の「鬼」は「ワニ」に通じ、海人産鉄者と深い関わりがあるといいます。

天照玉命神社の祭神は天火明命(饒速日命)であり、太陽信仰を意味します。


【天照玉命神社御由緒 】
祭神は天火明命で社格は元郷社延喜式内の古社で、天田四座 の一つにして創建は人皇第十三代成務天皇の御代丹波国造大倉伎命が宗家の祖先を 祀られたものである。
その後、戦国時代の混乱と荒廃により一時期衰退していた が、
承応二年、時の藩主松平忠房公は崇敬の念、特に篤く、同年十一月荘厳な本殿 及び拝殿を建立された。
現在の建物は、大正九年氏子の寄進により三ケ年の歳月を費やして、再建された ものである。
尚、本殿西に現存の校倉造の宝庫は近在唯一のもので、享保十四年 (一七一六)の造営によるもので非常に高い文化資料として称えられている。
当神社は、五穀豊饒の神として名高く、豊富庄を中心にした十三地区民の崇敬を あつめ、雨乞いの練り込みは今もって我々の記憶に新である。

丹波忠重朝臣の和歌 大江山 昔のあとの 絶えせぬは 天照神も あわれとや見む

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【延喜式神名帳】天照玉命神社 丹波国 天田郡鎮座

【現社名】天照玉命神社
【住所】京都府福知山市今安933-4
【祭神】天照国照彦 天火明櫛玉饒速日尊
【例祭】10月9日 例大祭
【由緒】成務天皇の代丹波国造大倉伎命が祖神を祀る
大同3年(808)丹波直人この宮に仕える
延慶2年(1309)藤原長清撰の『夫木集』に記
文安6年(1449)中原康富教典奉納
承応2年(1653)11月本社の社殿を修造
享保14年(1729)3月朽木玄綱造営 大正9年3月造営

【関係氏族】丹波氏
【鎮座地】当初鎮座したのは現阿光神社と思われる。
【祭祀】江戸時代は「和久神社」と称していた
【社殿】本殿流造 幣殿・拝殿・宝庫・社務所

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南方系海人

Author:南方系海人
ブログへようこそ!
古代丹後には王国があり、近年の調査で少しずつ証明されつつあります。
また丹後には、素晴らしい自然と伝説が沢山あります。
7000以上もの古墳、遺跡、史跡を自分で歩き、古代からつづくロマン街道や、元伊勢、神社、古墳、山城を旅する記録です。元伊勢伝承地は全て廻ります。
郷土のコアな伝説は、現地に何度でも行って調査します。
私は歴史家でも考古学者でもありませんが、郷土を愛し、歴史を知りたくて開設しました。
ホームページでは無く、あくまでもブログです。
間違えた認識もあるかと思います。
自分が調査した事を纏め、日記帳として利用しています。

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