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阿毘地神社(福知山市)

【阿毘地神社】福知山市
天火明命をお祀りする海人系の古社である。
由良川沿いにある京都府最大の円墳、私市円山古墳から見下ろすような静かな森の中の神社。

【延喜式神名帳】阿比地神社 丹波国 何鹿郡鎮座

【現社名】阿毘地神社
【住所】京都府福知山市興567
【祭神】天火明命(神名帳考証)
    大日霊貴命
    アリオチ大明神(丹波志) 
【例祭】7月20日 夏季大祭 10月9日 例大祭
【由緒】宝亀年間(770-80)創建
【鎮座地】移転の有無不詳
【祭祀】江戸時代は「天日大明神」「天目大明神」と称していた
【社殿】本殿流造檜皮葺 拝殿・神庫・參籠舍
【境内社】稲荷神社・疫神神社・大木神社・手力神社・天神神社


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天神神社(福知山市)

【天神神社】てんじんじんじゃ
福知山市下六人部多保市

天火明命の祖神国常立命をお祀りする古社で、由良川支流竹田川沿いに位置する。
神代紀で、日本の国土創成期に国を治めた天神七代 (アマツカミナナヨ) を祭る六人部(むとべ)七天神 のうち三代目のトヨクムムノミコトを祀っている。社伝によると本殿の建立は、文政8年 (1825)とある。
し かし、境内には、寛保3年 (1743) に奉納された手水鉢等多数の石造物がある。

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伝承によると上代から中世にかけて、福知山市堀の荒木神社(十二社権現)を六人部郷全体(郷外であるが字堀を含む)の産土神として奉斎した 。
その後、郷内各地区に分祀したという。
そして、これらはすべて正後寺(しょうごじ)の後方に聳える天突山(あまんづくやま・標高334m)を中心として東西南北各方位に祀られたものらしいとされる。(『歌枕の地 生野 の里』谷口守・平成一六・2004年)
この七天神は後世菅原道真を祀る天満宮と混同され、社殿の瓦・祭日の幔幕などに天満宮の社紋である梅鉢の紋が用いられるようになった。これには次のような言い伝えがある。

「もともと祀っていた天神七代の神々は、唐臼を使用することを大変忌み嫌われたが、さりとてこれを用いなくては米ができないので、困った氏子が誰言うともなく苦肉の策として菅公を 祭神とし、天満宮と呼ぶようになったという」(前掲『歌枕の地 生野の里』)
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浦島神社(福知山市戸田)

【浦島神社】

由良川沿いの福知山市戸田に海人族に纏わる浦島神社がありました。
詳細は徐々に掲載します。
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天照玉命神社

【天照玉命神社】
福知山市から青垣に抜ける今福旧街道の静かな森の中に、鎮座する大きな社が、天照玉命神社です。

丹後は、尾張系海神天火明命を祖神と仰ぐ海神国であり、古代の但馬、丹波、丹後の3国を田庭といい、四世紀~五世紀にかけては、大丹波王国言われるほどであり、大和政権と比肩するほどの強国だった。
丹後一の宮籠神社がその本宮といわれます。
その一の宮籠神社海部氏の兄弟神社が、この福知山に鎮座する天照玉命神社と、西舞鶴のヤハラ神社である。
神社の東北に、鳥ヶ岳と鬼ヶ城があり、それらの山と天照玉命神社を結ぶ延長線上に、穴裏峠があり、峠の先に神野神社が鎮座する。
神野神社の祭神は別雷命といわれ、天火明命をさす。
夏至のときに、神社から見ると 鳥ヶ岳と鬼ヶ城の間ぐらいから太陽が上がり、この二者の延長線上に、穴裏峠があ り、太陽はここに没する。近くに阿光照社があり、この神社は、もと天照玉命神社と言われて います。
天照玉命神社は太陽の動きの上に測量して作られ たことになるそうです。
鬼ヶ城の「鬼」は「ワニ」に通じ、海人産鉄者と深い関わりがあるといいます。

天照玉命神社の祭神は天火明命(饒速日命)であり、太陽信仰を意味します。


【天照玉命神社御由緒 】
祭神は天火明命で社格は元郷社延喜式内の古社で、天田四座 の一つにして創建は人皇第十三代成務天皇の御代丹波国造大倉伎命が宗家の祖先を 祀られたものである。
その後、戦国時代の混乱と荒廃により一時期衰退していた が、
承応二年、時の藩主松平忠房公は崇敬の念、特に篤く、同年十一月荘厳な本殿 及び拝殿を建立された。
現在の建物は、大正九年氏子の寄進により三ケ年の歳月を費やして、再建された ものである。
尚、本殿西に現存の校倉造の宝庫は近在唯一のもので、享保十四年 (一七一六)の造営によるもので非常に高い文化資料として称えられている。
当神社は、五穀豊饒の神として名高く、豊富庄を中心にした十三地区民の崇敬を あつめ、雨乞いの練り込みは今もって我々の記憶に新である。

丹波忠重朝臣の和歌 大江山 昔のあとの 絶えせぬは 天照神も あわれとや見む

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【延喜式神名帳】天照玉命神社 丹波国 天田郡鎮座

【現社名】天照玉命神社
【住所】京都府福知山市今安933-4
【祭神】天照国照彦 天火明櫛玉饒速日尊
【例祭】10月9日 例大祭
【由緒】成務天皇の代丹波国造大倉伎命が祖神を祀る
大同3年(808)丹波直人この宮に仕える
延慶2年(1309)藤原長清撰の『夫木集』に記
文安6年(1449)中原康富教典奉納
承応2年(1653)11月本社の社殿を修造
享保14年(1729)3月朽木玄綱造営 大正9年3月造営

【関係氏族】丹波氏
【鎮座地】当初鎮座したのは現阿光神社と思われる。
【祭祀】江戸時代は「和久神社」と称していた
【社殿】本殿流造 幣殿・拝殿・宝庫・社務所

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阿光神社(もと天照玉命神社)

天照玉命神社の元宮と言われる阿光神社の写真です。
天照玉命神社の少し北東側に位置しています。
鳥居横の御神塔は、明智光秀の家紋が彫られています。

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大原の産屋

【大原の産屋】
福知山市三和町大原地区は、由良川の支流土師川を遡る分流の川合川の源流にある静かな山村で、大原神社という歴史ある社がある。
この大原神社の川を隔てた土手の上に、珍しい茅葺きの産屋がある。
中を覗くと、薄暗く、畳二畳もないくらいの狭い土間に、盛り土がしてある。
お産の時の命縄がぶらさがっており、陣痛に耐えながら、命縄を握り、お産をしたのだと言う。
この地域では、大正初期までこの産屋でお産をし、その後、家でお産をするようになってからも、昭和三十年まで、ここで、産後は七日間、ここに籠ったそうだ。
分娩を不浄とする習俗は、漁民に多いといい、特に、日本海側にこの習俗が著しいのだという。
これは、海人族の風習として知られ、対馬、若狭、越前常神あたりでもよく似た産屋があるそうだ。

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茅葺き屋根が地面まで垂れ下がっている。
土間は、藁が敷いてあり、ここでお産をする。
この産小屋は、明治末までは、子供を産む度に、建て替えられたという。
その人の生まれた土地の事を産砂、産土といい、産湯、産土神という。

産屋は日本神話の中にも登場し、天祖彦火尊、海神(わたつみのかみ)の娘、豊玉姫命をめとりて、彦渚尊(神武天皇の父)を産みます。この出産の時、豊玉姫は、産小屋を覗くなと言うが、山幸彦は覗いてしまいます。
このように、産屋は、海人族の風習の名残である。
http://www.kyoto-np.co.jp/info/sightseeing/mukasikatari/070628.html

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若狭最大の古墳 上ノ塚古墳

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【上ノ塚古墳】

じょうのづかこふん
福井県三方上中郡若狭町脇袋古墳群にある前方後円墳で、国史跡。
埋葬施設、埋葬者は不明。
若狭地方における最大の前方後円墳で、4世紀末から5世紀前葉に造られたと考えられる。
膳部(ぜんぶ)山の西側山麓に7基あったと伝えられる脇袋(わきぶくろ)古墳群中最大で、
主軸方向を南北に取り、前方部が北を向いている。
全長約100m、後円部径約64m、前方部長約48m、3段に築造されており、
原形をよくとどめてお り、盾型の周濠の存在も確認できる。
墳丘には、葺石、埴輪、木柱がめぐらされている。

若狭の前方後円墳は現在17基が確認されており、西塚古墳・上ノ塚古墳・中塚古墳・上船塚古墳・下船塚古墳の5基は、国の史跡に指定されている。
丹後同様、古くから渡来人の上陸した地域であり、中国や朝鮮半島から渡ってきた出土品も数多い。
石室が露出した円墳も見学可能で、出土品は若狭町歴史文化館で見るこ とができるそうだ。

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埋葬者は、地元では若狭国造氏、膳臣(カシワデノオミ)といわれているそうで、その支族が脇袋古墳群や天徳寺古墳群なのでしょう。
丹後など、日本海沿岸の地域の特徴として、巨大な前方後円墳、ヤマト政権と関わると同時に、古くから独自に大陸、半島や九州の氏族とも交流していた様子が理解できます。
古墳からの出 土品には、極めて異例な広幅式冠帽や角杯形土器があり、当時の表玄関日本海ルートによる交流の事実を証明しています。
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プロフィール

南方系海人

Author:南方系海人
ブログへようこそ!
古代丹後には王国があり、近年の調査で少しずつ証明されつつあります。
また丹後には、素晴らしい自然と伝説が沢山あります。
7000以上もの古墳、遺跡、史跡を自分で歩き、古代からつづくロマン街道や、元伊勢、神社、古墳、山城を旅する記録です。元伊勢伝承地は全て廻ります。
郷土のコアな伝説は、現地に何度でも行って調査します。
私は歴史家でも考古学者でもありませんが、郷土を愛し、歴史を知りたくて開設しました。
ホームページでは無く、あくまでもブログです。
間違えた認識もあるかと思います。
自分が調査した事を纏め、日記帳として利用しています。

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