スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

宮津の聖ヨハネ天主堂

【日本最古の木造建築現役天主堂】

rps20120102_185258.jpg
左手の建物は、暁星幼稚園。

rps20120102_185233.jpg
【カトリック宮津教会聖ヨハネ天主堂】

●所在地 京都府宮津市宮本
●アクセス: KTR宮津駅から徒歩5分 ●現役の教会堂
●建立1896年(明治29年)

建築年代、様式ともに宮津市を代表する歴史的財産であり、自治体、大学の研究室等から注目 されているそうです。
木造天主堂として現役である。
また天主堂の中は畳敷きだそうです。

設計、ルイ・ルラーブ
施工、大井正司

建築が明治29年と、日本に現存する二番 目に古いカトリック天主堂である。
ステンドグラスを配した洋風の外観、内部は畳敷きとなっている。
明治時代のカトリック教会の様子を今に伝える日本でも貴重な建物である。

明治18年、フランス人宣教師ルイ・ル ラーブ神父が来日され、3年後の明治21年、近畿北部(丹後・但馬・若狭)での布教 活動を命じられた。
しかし、人々に白い目を向けられ、子供から石を投げられ、荷物運びも手伝って貰えない状況の中、宮津に赴任された。
最初は旅籠に身を預け、借家に教会を設置されたそうですが、徐々に信者が増え、順調に教会が発展。
家主の田井五郎衛門も洗礼を受け、敷地を教会へ寄付されました。
宮津のカトリック教会は、日本海地方、最初の教会として根付きました。
神父は、母国フランスから自転車を取り寄せ、宮津、舞鶴、近隣地域の布教活動に励まれたのです。
神父が自転車で走ると警戒の警官が走って後を追い、警官が倒れると神父は警官を介抱したという話が残っています。

その後、教会堂を新築、明治29年に、現在の天主堂が完成しました。
現在でも、毎週日曜日にはミサが 行われている現役の教会です。

宮津市といえば、戦国時代、細川幽斉の作った町である。
明智光秀の子、玉(ガラシャ夫人)が細川家に嫁ぎ、カトリック信者であったのは有名な話。
宮津の町は、有名な神社、寺院の宝庫のような土地であるが、この天主堂は、また一つの宮津の顔である。
城下町、宮津を訪れたら是非立ち寄って頂きたい。

入館できる時間 午前9時〜午後5時(無料) ※ミサの時間帯は、教会内の見学は不可。
スポンサーサイト

但馬の王墓 茶すり山古墳

[近畿最大の円墳]

兵庫県は、日本で一番古墳が多い県で、その中でも、但馬地方に集中しています。
但馬は、古代七世紀以前は、丹波でありました。
日本書紀に登場するアメノヒボコ集団の本拠地でもあります。
和田山から山東へ抜ける「宝珠峠」の途中、標高約144メー トルの尾根の先端に位置する茶すり山古墳は、5世紀前葉の大型 円墳です。 円墳としては奈良県富雄丸山古墳よりも大きく、近畿地方最大 規模を有しています。 直径約90メートル、高さ約18メートルの円墳で、2段に築 成されていたと考えられます。 墳頂には東西約36メートル、南北約30メートルの楕円形の 広い平坦面があり、そのやや内側には、円筒埴輪や朝顔形埴輪が 巡り、段築平坦面にも埴輪が列状に並べられていました。 斜面には葺石が見られますが多くは流出していま す。
rps20120102_170344.jpg


また、平坦な墳頂部には二つの埋葬施設があり、第1主体部と第2主体部が並んで います。 調査の結果、墳丘の規模や中心主体の内容がほぼ 判明し、中央政権(ヤマト政権)と強く結びついた 首長の墓であることが確認されています。
 
rps20120102_162229.jpg


【茶すり山古墳】

名称: 茶すり山古

種別: 史跡

都道府県: 兵庫県

市区町村: 朝来郡和田山町

国史跡指定年月日: 2004.02.27(平成16.02.27)

茶すり山古墳は、但馬南部に広がる和田山盆地を望む細い尾根の先端に造営された大型の円墳である。
この地は播磨と但馬をつなぐ交通の要衝で、古代山陰道の郡部 駅の推定地に当たっている。
平成13年度、北近畿豊岡自動車道建設予定地を兵庫県教育委員会が発掘調査を行ったところ、規模が大きく重要な内容をもつ古墳であ ることが判明したため、協議を行い、道路計画を変更し現状保存することとなった。
古墳は長径90m、短径78m、高さ18mを測る二段築成の円墳で、近畿地方では最大、全国でも4番目の規模である。
墳頂平坦面は長径36m、短径27mの 楕円形を呈し、墳丘全体の規模からするとかなり広く、この地域の墳丘形態の特徴を示している。
墳丘は大部分が削り出しによって造られ、斜面の一部には葺き石が 遺存していた。
また、墳頂平坦面及びテラス部からは円筒埴輪や朝顔形埴輪が、墳頂からは家形埴輪等も確認されている。
墳頂平坦面では2基の埋葬施設を検出した。
rps20120102_162519.jpg


中央南寄りにある第1主体部は、墓坑が東西13.7m、南北10.5mで、その中央に長さ8.7mの組合式箱形木 棺が埋設されていた。
棺内は粘土を敷き詰めて棺床とし、さらに小礫を敷き詰めた遺体埋葬部と、粘土敷きのままの副葬品埋納部とに分かれる。
第2主体部は、第1 主体部の北側にあり、東西7.5m、南北3.7mの墓坑内に、長さ4.8mの木棺痕跡が確認されている。
副葬品は非常に豊富で、二つの主体部の副葬品を合わせ ると、青銅鏡4点、勾玉・管玉などの玉類2,000点、武具類では甲冑2組と盾7点、武器類では鉄刀・鉄剣・鉄矛など85点と鉄鏃400点、農工具類では刀子 ・斧・鎌など80点余りに達する。
これらの中で注目されるのは、畿内地域以外では初めての出土となる三角板革綴襟付短甲や一つの棺からの出土数が最多である鉄 矛など、多量の武器・武具類が副葬されたことである。
また、漆の遺存状況が良好であり、刀剣類の装具の構造や盾の文様構成が確認された。さらには、畿内地域を 中心に分布する鉄柄付手斧が出土したことも貴重である。
茶すり山古墳は古墳時代中期前半の近畿地方最大の円墳であり、武器・武具をはじめとする副葬品は豊富である。
墳丘の構築方法などに地域色は認められるものの 、三角板革綴襟付短甲や鉄柄付手斧の出土は畿内地域と密接に関わりがあったことを示し、刀剣類の装具や盾における漆の遺存状況が良好であるなど、傑出した内容 となっている。
茶すり山古墳は古墳時代の社会や政治動向、とりわけ畿内の中央政権と地域の首長の関わりを知る上で重要である。
よって、史跡に指定し、保護を図 ろうとするものである。

rps20120102_162308.jpg

<国指定文化財ベースより>

足利尊氏生誕の地 安国寺










今回は、丹波綾部市にある有名な寺院の紹介です。
古代において、但馬、丹後、丹波は同じ国であり、7〜8世紀にかけて分国された。今回は丹波です。
所在地 京都府綾部市安国寺町寺ノ段1
山号 景徳山
宗派臨済宗東福寺派
本尊 釈迦三尊坐像
創建年 正暦4年(993年)
別称 旧名、光福寺
文化財 釈迦三尊坐像


《綾部市観光協会HP》より
安国寺(あんこくじ)は綾部市(丹波国)にある臨済宗東福寺派の寺院で山号は景徳山。

室町幕府を開いた足利尊氏は、この上杉荘(安国寺町)で誕生したと伝えられています。ここ綾部は、尊氏公の生母清子の実家上杉氏の発祥の地であり、その氏寺である景徳山安国寺には、産屋の跡やその傍らに産湯の井戸が残されています。また、安国寺境内には、今も母清子と妻登子のお墓と並んで、尊氏公のお墓が祀られています。
尊氏公は、夢窓疎石の勧めで南北朝の争乱に殉じた人々の霊を供養するため、全国六十余州に安国寺利生塔を建立し、その筆頭に丹波安国寺を置き京都十刹の寺格を得て、丹波、越後、日向等全国に荘園を領し、一時は塔頭十六、支院二十八を持ち繁栄しました。現在でも、安国寺は国の重要文化財、府、市指定文化財の仏像や古文書等を数多く所蔵しています。




安国寺は正暦四年(993)頃恵心僧都62才の御作の子安地蔵菩薩を安置して光福寺としたのが創まりで、上杉重房の外護を受け上杉家の氏寺として発展の途に登り、上杉頼重の息女清子が足利貞氏と結ばれ当山の地蔵菩薩に祈願すること7日、行満る暁、星を呑むとの夢をみて懐妊し、嘉元三年(1305)上杉氏所領内の光福寺々内塔頭の常光寺に於いて尊氏公を安産し、その後は足利家からの帰依も受けるようになり南北朝のはじめ足利尊氏が弟直義とともに夢窓国師の勧めに従い、国土安穏泰祈願並びに元弘以来の戦死者供養のため、暦応二年(1339)全国二島六十六ヶ国に安国寺を建立するにあたり、暦応四年三月(1341)円派の仏師豪円作の釈迦三尊坐像を本尊として丹波の安国寺を創立する。

平治峠のお地蔵さん 大宮町常吉

rps20110822_213447.jpg

与謝野町幾地と大宮町常吉の境界に、全高5,3メートル、京都府最大のお地蔵さんがある。
以前は、尼寺でもあった。

天保の頃、この地方に山賊が出没して、通行人や地域の人々を苦しめていた。天保三年、(1832年)当時の常林寺住職、月海龍吟は、衆生を救うため、多くの信者から浄財を求め、近くの谷より仏相をそなえた石を見つけ、樽留の石工、松助に依頼し、蓮華座の上に、一尺六寸の地蔵尊を建立した。
その功徳により、山賊は一人残らず退散した。
立像の石仏としては、京都府下有数のものであり、アザ取り地蔵としても、知られている。


この大きなお地蔵さんの少し横に安置されている女性?のお地蔵さん、お腹の上には赤ちゃんがいるし、いつ頃出来たのだろう。
rps20110822_213318.jpg


平地地蔵(京丹後市大宮町上常吉)―ふるさと昔語り(京都新聞2007-08-15)



◇一揆の首謀者慰霊

京丹後市大宮町上常吉の集落から少し外れた与謝野町との境目にかかる平地峠。

そのほぼ中央部の小高い山裾にある平智山地蔵院境内の一角に、穏やかな表情を称えて府内で最も背が高いといわれる「平地地蔵」が立ち、行き交う人々を温かく見守っている。

合掌する姿で、高さ5・3m。台座も含めると約7mもある。

文政5年(1822)冬、この地を支配していた宮津藩の重税などの圧政に耐えかねた農民が決起した「文政丹後一揆」が起きた。

「義を見てせざるは勇なきなり」と、3万人とも5万人ともいわれる農民たちを率いたとされ首謀者の一人、常吉村出身の吉田新兵衛は、その責めを受けて処刑された。一揆の11年後、新兵衛らの霊を慰めるた めに村などから集められた浄財で像は建立されたと伝わる。

それと共に、一揆の首謀者を弔う事ができなかった時代的な背景から、峠に出没する山賊を仏の功徳で退散させるとの名目で作られた、という説も地元には残る。

平地地蔵は当時、丹後一円に多くの作品を残した鱒留村(京丹後市峰山町鱒留)の石工、松助の代表作とされる。同市文化財保護課の橋本勝行技師は「立像の大きさと交通の要衝に建てられている事などから、信 望の厚かった人物像が浮かび上がる」と話す。

こうした村の歴史を伝え残す昔からの行事が、毎年7月23日夕方から営まれる「地蔵祭」。諸霊を慰める読経などで先人の苦労を偲ぶ。また、境内周辺には夜店が並び、静かな山里は今年も歌謡ショーなどが催 され、涼を求める参拝客らで賑わった。

GRP_0711.jpg


雪深い土地柄だけに毎年11月23日には、檀家世話人会が、藁で編んだ防寒用の頭巾と蓑を着せる。この「みの着せ行事」は、丹後の初冬の風物詩としても広く知られている。

世話人会代表の大木秋男さんは「先祖供養の意味もあり、大切な地域のシンボル。今は夏の盛りですが、今年も時期になれば春先までの約4か月間を温かく過ごしてもらえるように心を込めて蓑を着せたい」と語 る。

平地地蔵には口の右上に黒い斑点があり、「あざとり地蔵」とも呼ばれて親しまれている。転じて交通安全や安産など諸願成就の信仰を集め、近隣から参拝者も多い。また、世話人会が手編みで作る蓑と頭巾は計 約60㎏の重さ。約4か月間身に纏い、雪解けの春を待つ。



蓑着てぬくぬく 京丹後 平地地蔵が冬支度(京都新聞2007-11-23)

京都府京丹後市大宮町上常吉の平智山地蔵院で23日、府内一の高さで知られる「平地地蔵」に地元住民の手で、藁で編んだ防寒用の頭巾と蓑が着せられ、冬支度が整った。

与謝野町との境にあり、平地峠を見下ろす地蔵は、台座を含めて高さ5・3m。宮津藩の圧政に立ち上がった「文政丹後一揆」の中心人物で、処刑された地元出身の吉田新兵衛らの霊を慰めるため、天保3年(1 832)に村の浄財で建立されたと伝わる。安産とあざ取りの地蔵として信仰を集めている。

この日は、早朝から檀家世話人会(6人)が集合。地蔵に梯子をかけ、総重量約60㎏の頭巾と蓑を着せ付けた。大木秋男代表らは「これでお地蔵さんも安心して冬が越せます」と笑顔だった。

作業後は同院を管理する近くの常林寺で、地元児童が今秋出版された絵本『新兵衛じぞう』の朗読会を行い、郷土史への理解を深めた。

地蔵さんも防寒…京都・京丹後(読売新聞2007-12-13)

京都府京丹後市大宮町の常林寺末寺境内にある高さ5・3mの「平地地蔵」に巨大な蓑と頭巾が着せられた。「せめてもの防寒に」との住民の思いで百数十年前から続いている行事という。

蓑は高さ約3m、幅約3・5m。檀家で創る「世話人会」が糯米の藁を編んで数年に一度新調しており、今年は11月下旬に6人掛かりで蓑を着せた。

平地地蔵は江戸後期の一揆の首謀者2人を弔うため、天保3年(1832)に建立。世話人会代表の大木秋男さんは「地蔵さんも蓑を着て温かそう」と話していた。

京丹後の百姓一揆を発掘(京都民報2007-12-22)

京丹後市大宮町の平智峠の寺に聳え立ち、地域の住民らが大切に守っている地蔵にまつわる百姓一揆の歴史を発掘した資料集『平智地蔵の謎』と、絵本『新兵衛じぞう』がこの程、あまのはしだて出版(宮津市) から同時出版されました。

平智地蔵は、文政一揆で処刑された指導者吉田新兵衛の霊を慰めるため、村の浄財で立てられたと伝承されてきました。

郷土史家の安田正明さん(故人)と妻の千恵子さんが12年がかりで、寺に残る古文書を解読、分析。新兵衛を悼んで丹後地方はもとより、関西一円から7万5000人による寄付を集めて、高さ5mの巨大な地 蔵を建立した経過を突き止め、資料集となったものです。

絵本は、民衆の勇気と知恵が、絵本作家津田櫓冬さんの美しい絵と文で綴られ、全国学校図書館の協議会の推薦図書となっています。

資料集は税込み2100円。絵本は同1680円。問い合わせは、あまのはしだて出版へ。


rps20110822_213216.jpg
プロフィール

南方系海人

Author:南方系海人
ブログへようこそ!
古代丹後には王国があり、近年の調査で少しずつ証明されつつあります。
また丹後には、素晴らしい自然と伝説が沢山あります。
7000以上もの古墳、遺跡、史跡を自分で歩き、古代からつづくロマン街道や、元伊勢、神社、古墳、山城を旅する記録です。元伊勢伝承地は全て廻ります。
郷土のコアな伝説は、現地に何度でも行って調査します。
私は歴史家でも考古学者でもありませんが、郷土を愛し、歴史を知りたくて開設しました。
ホームページでは無く、あくまでもブログです。
間違えた認識もあるかと思います。
自分が調査した事を纏め、日記帳として利用しています。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。