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元伊勢籠神社と日向のご祭神は同一神!

【日向の神と元伊勢籠神社の神は同じ??】
元伊勢籠神社のご祭神は、彦火明命(天日明命)となっています。
しかし、社伝によると養老元年(717年)までのご祭神は、彦火火出見命とあり、日向二ノ宮都萬神社と同じ、山幸彦です。
籠神社は、国宝系図で有名な海部氏が宮司を勤められていますが、それまでのご祭神が彦火火出見命となると、日下部氏の可能性が出てきます。
721年、熊野郡から来られた海部氏第二十八世の兄弟千嶋、千足、千成がそれぞれ与謝郡、天田郡、加佐郡の国造に任命されます。
その時にご祭神が、日下部氏が祭祀する彦火火出見命から海部氏の祭祀する彦火明命と変わった事になります。
山幸彦と浦島太郎の関係も同じ日下部氏の話です。
実は若狭の若狭彦神社のご祭神も彦火火出見命で、『彦火火出見尊絵巻』が小浜市明通寺にあり、絵巻は、福井県小浜市の松永荘の新八幡宮にあったものです。
日向を舞台とした海幸・山幸の絵巻物が、何故、日本海沿岸の若狭にあるかということになります。
若狭国の一の宮若狭彦神社と若狭姫神社と元の丹後一の宮籠神社は、同一の神でも不思議ではありません。
小浜市太良の丹生神社のご祭神も彦火火出見命です。若狭彦神社のご祭神が彦火火出見命であり、若狭姫神社はその妻・豊玉姫がご祭神なのです。
丹後では、日下部氏の先祖、浦島子(浦島太郎)
日向では日下部氏が古代より祭祀したとされる彦火火出見命(山幸彦)話の内容も同じような内容です。


都萬神社縁起には、『竜宮信仰と日下部氏』が書いてあります。
日下部氏の出生伝承は、日向と但馬(丹後と同じタニハ)にある訳です。
しかし、丹後の日下部氏伝承も、日向の日下部氏の先祖神である都萬大明神(妻神)が竜宮に通い住むという伝承、日向神話の海幸、山幸の説話も、同じ話なのです。
つまり、古代丹後海人族も日向海人族も同じ日下部氏だったと推測できます。


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丹後と九州日向の海人族

【古代日向と丹後は同じ海人族??】
九州と丹後の関係、現地に行き、この目で沢山見てきました。
左側の甲冑と舟型埴輪は、丹後ニゴレ古墳の出土物。
右側の甲冑と舟型埴輪が、宮崎県西都原古墳の出土物です。
縄文時代の丸木舟の上を深く、また補強した準構造船です。
これは大陸や島々を航海し、海の支配者といえる武装海人族であることが証明されます。

舟型埴輪は全国で四十例程度だそうですから、日向と福知山でしか出土していない景初四年鏡といい、考古学的にも何らかの深い繋がりを感じます。
日本神話は面白い。
神話上でも古代丹波(丹後、但馬、丹波)の神は兄弟となっています。
高千穂の邇邇芸命と丹後の饒速日命は兄弟。
邇邇芸命の子、山幸彦海幸彦の神話も丹後に伝わった浦嶋子の話と言われます。

日向二ノ宮妻萬神社と丹後の関係?

【宮崎県都萬神社と丹後半島の妙な関係】
九州旅行以来、宮崎と古代丹波(丹後、但馬、丹波)が、妙に関連性があるのが気になる。
昨日は、福知山と宮崎県高鍋町しか出土していない卑弥呼の時代の景初四年龍虎鏡をご紹介しました。
こんな事ばかり考えてる私は、阿呆か馬鹿だと思う。
宮崎県二ノ宮都萬神社、日向国では最も古い神社の一つです。
面白い事に妻萬神社には、丹後出身の女神様、豊受大神がお祀りされています。また日本酒発祥の地でもあり、丹後半島との共通点が見えます。
何だろうと、少し文献を調べてみると、、、驚いた事に平安末期まで、但馬出身(七世紀末まで丹後と但馬は同国)の豪族日下部氏が日向国の現地にいて、国司の職務を行う在国司職で、都萬神社の祭祀をしていたとありました。
しかも日下部氏は日向国で最も古い豪族の一つとあります。
日下部氏とは、開化天皇の王子、彦坐王の末裔が但馬日下部氏であり、天下の大族。開化天皇の妃も丹後半島の竹野姫です。
あの有名な浦島太郎のモデル、浦島子も日下部氏。
因みに日下部氏の末裔は、丹後では、大江さん、日置さん、百鳥さんなどが有名です。
丹後では、丹後一ノ宮籠神社国宝系図海部氏が有名ですが、久美浜から籠神社(真名井神社)に来られたのは721年。
海部氏の国造は、ここがスタートなのです。
籠神社の社伝によると、養老元年までの籠神社の祭神は彦火火出見です。
それを考えるとそれまでの神官は、日下部氏系の可能性が高いと推測できます。
類似した伝説や同じ出土物の丹後半島と九州宮崎の関係???益々面白くなってきた!

謎の景初四年鏡、丹後と九州日向で出土!

先日の九州宮崎と丹後丹波の共通点を挙げておりますが、
これも現地で知った事です。
景初四年龍虎鏡!
福知山の広峯十五号墳から出土し、全国的に有名になった鏡です。
卑弥呼が魏に使者を遣わした翌年です。しかし、景初は三年までしかなかった謎の鏡です。
この鏡、日本にはもう一枚が出土しており、なんと宮崎県高鍋町の持田古墳からも出土していました。
しかも同じ鋳型で作った事が判明しています。
鏡の銘文には、中国人の陳という名前が書いてあり、この陳氏が中国から持ち込んだとか、日本で作らせたとか、諸説紛々ですが、この陳氏は中国江南の人であることから、南方系海人族ミミ族の流れではないかと推測出来ます。
九州南部と丹後半島との関係って??

古代丹後と九州日向の製塩とは??

日向市東郷町、ここにも日向国と丹後のご縁を匂わせる面白い話がありました。
仲瀬神社の御祭神は大己貴神と野々崎丹後とあります。
野々崎丹後は山伏の名で、日向国の製塩史に深い係わりを持っているといいます。
神社の創建、このお話は室町時代ですが、どうやら古代から伝わるお話のようです。
永禄年間の頃、塩釜の塩が結晶しないという現象がおこり、人々は『何かの祟り』と思い、あちこちの山伏に頼んで祈祷をしたが、全く効果がない。
そこで、野々崎丹後という山伏に頼み祈祷してもらったところ、塩がよく結晶しました。
不思議な事に丹後が祈祷する時だけ効果が現れる。
他の山伏達は、自分達の法力がないのを棚に上げ、丹後と家族を斬り殺してしまった。
野々崎の村人は、丹後一家霊を慰める為に仲瀬に神社を建て、大己貴神と丹後をお祀りした。
また安之神社にも丹後がお祀りされています。
丹後は人名ですが、古代丹後国大浦半島の製塩コンビナート 浦入遺跡は、当時国内最大級と云われ、ここから若狭地方に製塩業が移った事は有名です。
丹後という不自然な人名。
日下部氏の繋がりなど、
何か係わりを感じてしまいます。
プロフィール

南方系海人

Author:南方系海人
ブログへようこそ!
古代丹後には王国があり、近年の調査で少しずつ証明されつつあります。
また丹後には、素晴らしい自然と伝説が沢山あります。
7000以上もの古墳、遺跡、史跡を自分で歩き、古代からつづくロマン街道や、元伊勢、神社、古墳、山城を旅する記録です。元伊勢伝承地は全て廻ります。
郷土のコアな伝説は、現地に何度でも行って調査します。
私は歴史家でも考古学者でもありませんが、郷土を愛し、歴史を知りたくて開設しました。
ホームページでは無く、あくまでもブログです。
間違えた認識もあるかと思います。
自分が調査した事を纏め、日記帳として利用しています。

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