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笑原神社

【元伊勢笶原神社】
丹後国元伊勢籠神社の兄弟神社です。
籠神社国宝海部氏系図二十八世千嶋、千足、千成の千成が721年加佐郡国造として笶原神社の祝になりました。
以後、海部から清水、坂根と姓を変え、現在五十四世まで続いています。
舞鶴出身の実業家有本国蔵・嘉兵衛兄弟が寄進した神明鳥居に架かる奉納額
「総社笶原魚居匏宮」
(そうじゃやはらまないひさごみや)とあります。
花山天皇の皇子にして後の白川伯王家の祖となる清仁親王の書によるとされています。
本宮は、裏手の階段を登った山の上にあったそうですが、平成16年の台風で倒壊しています。

所 在 地 京都府舞鶴市紺屋町二九
主 祭 神 天照皇大神・豊受姫神・月夜見命
相  殿 清和天皇・宇多天皇
末  社  稲荷神社
祝  部  坂根氏

御由緒(舞鶴城下町倶楽部作成の碑による)

 天平勝宝元年頃に創設された古社。
 祭神は、天照皇大神、豊受姫神、月夜見神。
 相殿に淳和天皇、宇多天皇が祀ってあり、かつては魚居社(まないのやしろ)とも呼ばれ、古代海部(あまべ)や凡海連(おおしあまのむらじ)に関わりをもつ。

☆応永15年(1409)において、真名井与佐宮とされている点に注目
『舞鶴市史編纂だより』
《神職の許状について》
   専門委員  西村 尚

 神職の世襲による、いわゆる社家の制は、明治4年になって廃止されたが、無論、徹底したわけではない。今春、国宝に昇格した海部家系図を家蔵する宮津市の籠神社宮司海部穀定氏の家は代々同神社の祀職を世襲して今日に至っている。
 これは代表的な一例である。出雲大社の千家・北島両家を始め他にも例は多い。本市関係では大川神社の高田家、吉坂稲荷神社の両森本家。現白糸浜神社の坂根家は同一神社の世襲ではないが、祀職世襲的である。
 中世、京都吉田の神楽岡にあって吉田神道(唯一宗源神道)を標榜した吉田(卜部)家は、兼倶などの有力者を擁して、次第に神祇伯家の白川氏の職務を蚕し、神祇官代として全国の神社、神職をその支配下に置きつつ、盛んに神職の許状を発行した。殊に徳川幕府によって公布された「諸神禰宜神主諸法度」(寛文5年・AD。1665)により、吉田家の行政的権威が確立したとみられている。ために神祇伯家は劣勢挽回を期して努めたが、遂に吉田家に迫ることは出米なかった。
 当地方で 吉田、白川両家の神社・神職支配をめぐる軋轢については、寡聞にしてその資料を見る機会に恵まれないが、いかなものであろうか。江戸期の当市関係で、吉田より神職の許状を得ていたのは、大川・朝代の二社のみである。この点については、市史「各説編」で少しく触れた通りである。なお白川家側資料に「白川家門人帳」があって、その名称の通り、神職のみならず門人として職人・百姓なども名を留めている。
 ところで、昨年、白糸浜神社の坂根肇宮司より家蔵の神職許状を拝見する機会が与えられたのは、まことに幸いであった。以下これについて略述し大方の批判・叱正を賜わりたいと思う。

     丹後国田造郷内八咫村
     式内笶原神社神主海部綱光
     継目任願被為許容訖因冠○服
     浅黄差貫着用如先規神事之○
     令進退可奉祈
     宝祚延長者
     本官所候也仍執達如件
      神社官統領神社伯王殿
               雑掌奉
     応永十五年五月十三日
式内笶原真奈井与佐宮神主 坂根修理亮殿

【丹後風土記残欠】
笶原社

田造郷。田造と号くる所以は、往昔、天孫の降臨の時に、豊宇気大神の教えに依って、天香語山命と天村雲命が伊去奈子嶽に天降った。天村雲命と天道姫命は共に豊宇気大神を祭り、新嘗しようとしたが、水がたちまち変わり神饌を炊ぐことができなかった。それで泥の真名井と云う。ここで天道姫命が葦を抜いて豊宇気大神の心を占ったので葦占山と云う。ここに於て天道姫命は天香語山命に弓矢を授けて、その矢を三たび発つべし、矢の留る処は必ず清き地である、と述べた。天香語山命が矢を発つと、矢原山に到り、根が生え枝葉青々となった。それで其地を矢原(矢原訓屋布)と云う。それで其地に神籬を建てて豊宇気大神を遷し、始めて墾田を定めた。巽の方向三里ばかりに霊泉が湧出ている、天香語山命がその泉を潅ぎ〔虫食で読めないところ意味不明のところを飛ばす〕その井を真名井と云う。亦その傍らに天吉葛が生え、その匏に真名井の水を盛り、神饌を調し、長く豊宇気大神を奉った。それで真名井原匏宮と称する。ここに於て、春秋、田を耕し、稲種を施し、四方に遍び、人々は豊になった。それで其地を田造と名づけた。(以下四行虫食)

【与謝郡誌】
吉佐宮趾
 崇神天皇の朝皇女豊鋤入姫命が皇太神の御霊代、即ち三種神器の内八咫鏡と叢雲剱を奉じて大和国笠縫邑より當國に御神幸あり。社壇を橋立の洲先に卜して宮殿を御造営あらせられ、吉佐の宮と申し霊代を奉安神事せらるゝこと四年、のち伊勢国五十鈴川上に奉遷し、内宮皇太神の神都に奠め給ひしといへる旧社にて、我国体上最も尊厳の地位を占むる霊蹟なれば、伊勢に御遷幸の後にても依然宮殿を存置して皇太神を奉祀せしも、文殊堂の雪山和尚が諸堂拡張の為めに、切戸を渡して橋立の厚松内に宮殿を移したるが今の橋立明神なり。文殊境内なる宮跡は今本堂の東北なる本光菴の前仁当れるが、古来神聖の境域として苟くも汚穢不敬等のことある無く、約四坪計りは厳然として保存せられ今要目樹壹株を栽ゑられてあり。尤も吉佐宮に就ては種々異説ありて倭姫世紀には「奉天照太神於笠縫邑遷之于旦波與佐宮今加佐所在内宮即其處居焉四年又遷于伊勢五十鈴川上號曰内宮、事在垂仁天皇二十五年機歴十代至雄略天皇祀豊受皇于伊勢所謂外宮是也云々」と載せ神社啓蒙には「與謝宮在二丹後国與佐郡川森一所祭神一座」と云ひ和漢三才図曾には「與佐宮在二與謝獅川守一云々」となし又大神宮御遷幸図説には丹波吉佐宮今丹後に属し丹後の神森云々と云ひて河守に比定し、加佐郡舞鶴町紺屋天香山鎮座笶原神社慶長五年康子 冬十一月十四日国守細川越中守忠輿再建の標札に「丹後州神座郡田辺城外西嶺有笑原神宮焉豊受大神神幸之古跡而所謂為真名井原與謝宮三處之一而此嶺別有天香或藤孝之名焉、祭神天皇即位卅九壬戌歳使豊鋤入姫命遷天照太神草薙剱月夜見神于此地以奉齋一年三月矣然後鎮其御霊代又遷與謝郡九志渡島以奉齋此時始有與佐郡名焉云々」と録し、日本地理志料には「豊鋤入姫命齋皇太神於丹波吉佐官云々吉佐宮趾在文殊村郷名取此云々」と載す。丹後細見録、丹後舊事記及び丹後州宮津府志には孰れも「橋立大明神余社郡天橋立、祭神豊受皇太神宮、崇神天皇三十九年天照皇太神宮を崇め奉る,與佐宮倭姫の垂跡なり」と云ひ、神祇志科式外論神の部に「等由気太神與謝郡切戸にありて與謝宮と云ひしを後世橋立に遷して改て橋立明神といふ。(按与謝宮趾今切戸に在り何頃よりか其近傍に文珠堂ありしが奸僧雪山なる者其仏の栄えるまにまに遂に本社を今地に遷して其趾に文珠堂を構へたりしなりといふ甚だ憎むべき所業なりと云ふべしさて古は切戸より橋立の内府中真井原までも悉く本社の境内なりしといふ云々)天照太神の御饌都神等由気太神を祀る。雄酪天皇御世大御神の御教に依て此太神を伊勢の度曾山田原に遷坐奉らしめ給ひき云々」と掲げ、尚ほ皇太神四年鎮座考(吉佐宮考)には「皇太神は籠神社に四年間御鎮座ありて後伊勢の五十鈴川上に御遷幸」の由を記す。其他諸書の載する説もおのづから異るものあり、又皇大神と豊受大神即も内宮と外宮とを混同せる向もありて一定せず。按ずるに此の両者は倭姫世紀にある如く判然別個にして、皇大神を吉佐宮に齋き奉るのとき、典御饌神に丹波郡の眞名井原に降臨御鎮座あらせられたら豊受大神を橋立近辺に迎へ奉り(今府中村に豊受大神を祀る真名井神社は其宮なりとも伝ふ)皇大神の伊勢に御遷幸の後は祭祀も頽れしを、雄略天皇の朝に皇大神の御託宣により真名井原へ勅使を御差遣(此の真名井原とは府中の真名井原か或は其故地たる丹波郡の真名井かを知らず)伊勢の度曾に奉遷したるが豊受大神なれば、吉佐宮は内宮の皇大神なるは謂ふまでもなし。

笶原神社に残る慶長五年の棟札
丹後州紳座郡田邊城外西嶺有笶原神宮焉、豊受大神神幸之古跡而所謂爲眞名井原與佐宮三處之一而此嶺別有天香或藤岡之名焉、崇神天皇即位世九壬戊歳使豊鋤入姫命遷天照太神草薙劔月夜見神于此地以奉齋一年三月矣然後鎭其、御霊化又遷與謝九志渡島以奉齋此時始有與佐郡名焉夫當宮之有霊験者著于世也因記一二以示於後世社記曰、文武天皇慶運三丙午歳夏久旱魃不降一露尋有災火而山悉焚爲之萬民無所置手足也於是、勅阿部朝臣眞君副使中臣朝臣人足等被進種々神宝幣帛於当宮雷聲忽応而火災自滅矣、高岳親王詣当宮依神詫建清光殿于宮地遂奉戒言以自愼矣、花山帝患無子被祈於當宮即有感応而、清仁親王生、後醍醐天皇所於當宮被免蝮蛇之患、邦高親王亦祈此神御脳忽平癒此以下世蒙、神明之威徳者不可勝数、歴帝崇此紳之徳数進幣帛被修理賓殿雖然星移物代而雨露疵其?清宮既古矣于時慶長五年秋八月石田三成方人小野木重勝方囲當城之時父藤孝詠一首歌以奉于此、神而後爲籠城矣歌云、天照神之御坐郡奈禮婆荒振毛能乎屋良比賜邊庸既有感応而、太神夢中以長歌詫、智仁親王親王輒奏之、天子、天子大驚直乃、勅烏九岩廣卿西三條實條卿加茂松下大宮司等下、綸命於小野木因之小野木等速解囲退是故父出戦苦得小治一國也是非我徳也正、神明之妙助也益尊敬、其神徳自奉幣帛愼配吾姓祖、清和天皇之霊爲寄附神領九町七段百九十歩者也又其宮地山林自西馬谷之尾崎接圓隆寺之境南至桂林寺之境分地各正而寄附者如先規茲新営治、宝殿命神主海部真正之令祷當城鎭護國家安全五穀成就武運長久府惟、神明霊徳尚紳愍敬白
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元伊勢と古代の神秘

【古代の神秘】
夏至です。毎年同じ事を書いています。笑
伊勢神宮外宮(丹後の祭神、豊受大神を祀る)の鳥居から日が登り、内宮の皇大神宮(天照大神)鳥居を通過し、福知山市大江町の元伊勢外宮(豊受大神)・元伊勢内宮(天照大神)を一直線上に通過。写真の日室ヶ嶽山頂に日が沈む。その先は、丹後のイサナゴ山であり、豊受大神誕生の地、峰山(古代丹波国の中心部)です。
この日室ヶ嶽に沈む太陽は、七月七日辺りまで見れます。
七月七日は、日本書紀、丹後風土記に載る羽衣天女(豊受大神のお話)浦嶋子(浦島太郎)の日です。
延暦23年(804年)に編纂された伊勢神宮社伝『止由気宮儀式帳』によれば、雄略天皇22年、天皇の夢に天照大御神(内宮祭神)が現れ、「自分一人では食事が安らかにできないので、丹波国の等由気大神(とようけのおおかみ)を近くに呼び寄せるように」と神託したので、同年7月7日、内宮に近い宇治山田の地に豊受大御神を迎えて祀ったのに始まる。延喜式神名帳には「度会宮 四座」と記載され、大社に列している。

代々度会氏が神職として奉職したが、豊受大神は天之御中主神・国常立神と同神であり、外宮は内宮よりも立場が上であるとする伊勢神道を唱えました。
写真は昨年のものです。

真奈井神社 元伊勢参拝第十五番

【二千数百年の古社、元伊勢真奈井神社】

《古代丹後の鍵を握るとてつもないパワースポット》

名 称 籠神社奥宮真名井神社
所 在 地 京都府宮津市中野
磐座主座(上宮) 豊受大神(亦名天御中主神・国常立尊)
相 殿 罔象女命・彦火火出見尊・神代五大神
磐座西座(日之小宮) 天照大神・伊射奈岐大神・伊射奈美大神
祝 部 海部氏


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御由緒(籠神社編纂)

古代丹波の最高神である豊受大神(天御中主神又は國常立尊とも云う)を 氏神として戴いて当地方に天降られた天照國照彦火明命は、大神様をお祭り するのにふさわしい神聖なところとして、常世の波の寄せる天橋立のほとり のこの地をお選びになりました。こうして名勝天橋立の北端真名井原に御鎮 座、第十代崇神天皇の時に天照皇大神の御霊代が當宮にお遷りになり、吉佐 宮と申して豊受大神と御一緒に四年間お祭りされました。元伊勢の御由緒の 起こりです。 天照皇大神は人皇十一代垂仁天皇の御代に伊勢国伊須須川上へ御遷宮にな り、豊受大神は人皇二十一代雄略天皇の御代に至るまで當地に御鎮座あらせ られ、同天皇の御代二十二年に伊勢国度会郡の山田原に遷らせられました。 奥宮は今、神代が現代に生きている聖地として信仰者の熱い祈りが日々捧 げられています。


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《元伊勢伝承》

『日本書紀』によると、宮中に祭られていた天照大神がより良い鎮座地を求め、現 在の伊勢神宮内宮に鎮まるまで日本各地24ヶ所を転々としたのが元伊勢伝承であり、 その鎮座地が元伊勢と号される場所である。

天照大神は、宮中を出たあと大和の笠縫邑に三十三年間祀られ、そのあと但波(たんば)の吉佐 宮(よさのみや)に祀られました。 この吉佐宮が籠神社(真名井神社)です。
古代丹後 は、丹波国に属していた国であり、「よさのみ や」の「よさ」はこの地域の古くからの地名「与謝」である。
吉佐宮とは、舞鶴やはら神社~丹後一の宮籠神社~元伊勢内宮皇大神社に移動した三社全部とかんがえられる。


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天の岩戸神社 元伊勢参拝第十四番その弐

皇大神社から奥手に入ると、天照大神がお隠れになられたという天岩戸がある。
とても神秘的で、静かな聖地である。

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「天の岩戸神社」

《社内案内板》

岩戸山 京都府歴史的自然環境保全地域 昭和59年3月13 日指定(京都府加佐郡大江町) 天岩戸神社は大江町の元伊勢三社[皇大神社(内宮)・豊 受大神社(外宮)・天岩戸神社]の一つで、伊勢の皇大神 宮の元宮として、古くからこの地方の象徴的存在として 崇敬されてきました。

天岩戸神社の祭神である櫛岩窓戸命・豊岩窓戸命は門を 守る岩石の神であり、岩戸渓谷の幽玄の地を天岩戸に比 定し、古事記の大神の門番神を配祀していると伝えられ ています。

<img src="http://blog-imgs-46.fc2.com/z/a/r/zarameya/rps20111021_145237.jpg" alt="rps20111021_145237.jpg" border="0" width="480" height="360" />

《案内板》

岩戸山 京都府歴史的自然環境保全地域。 指定地域は、元伊勢三社の一つ天岩戸神社の神域として古 くから守られてきた府内でも数少ない原生的な森林です。 ウラジロガシ、アラカシ、あかがしなどの常緑カシ林が主 体となっていますが、岩戸山頂上付近には、ブナーイヌブ ナ林も見られます。確認されただけでも380種もの植物が 自生しており、なかには貴重な植物も含まれています。ま た、岩戸渓谷には、天岩戸神社の本殿やいわれのある御座 石、神楽岩などが点在し、両岸を覆う森林とともに神秘的 な雰囲気をかもし出しています。このすぐれた歴史的な自 然環境をわたしたちの子孫に守り伝えていきましょう。特 別区域では、土地の形質の変更、土石の採取等の行為は許 可なくできません。野生動植物保護地区では貴重な植物の 採取はできません。昭和59年3月13日指定 京都府。
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岩戸神社の記 偉大な祖神である天照大御神は速須佐之男 命の乱暴な行いに堪え忍んでおられたが と うと う我慢しきれずに天の岩戸に閉じ籠りに なられた。 それで この世の中は真暗くなってしまい 悪い事ばかりが連続して起こり拾収がつかな く なってしまったので 八百万神々は天安河 原に集まられ相談された。 そこで 天の岩戸の前で長鳴鳥を鳴かせ 真榊の木に勾玉を飾り御神鏡をかかげ 御幣 を持 ち神饌物を捧げて 賑やかに歌い踊り音 楽し祝詞を申し上げた。 この時 尊い天照大御神は外の様子を不思 議に思われ 天の岩戸を細めに開いて見られ たの で 御神鏡をさし出し申した。畏い天照 大御神はますます変だと思われすこし天の岩 戸から出 られたところをお引出し申したので 世の中は明るくなり救われたのである。 さて この由緒ある御神鏡が神宝と信じら れ 救世平和神とされている。

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天岩戸と呼ばれる場所 について

天岩戸説話は天照大神が、弟の素戔嗚尊の乱暴な振る舞いにたまりかねて岩戸の中に閉じこもり、世の中が暗黒の世界となったという天上界の話である。
しかし、日本神話を現実的に存在する岩戸があり、見える形で解釈 したいという要求から、全国各地に「天岩戸伝説」とする場所やそれに関連する場所 が存在する。
しかし、記紀によると天照大神が蘆原中津国を平定し、子の「天のオシホミミ」にその後の平定を任せるが、「オシホミミ」に子が出来、それが出来なくなる。オシホミミの子である、ニニギの命とニギハヤヒの命がそれぞれ高千穂とヤマトに天孫降臨するので、高千穂に天照大神は降臨していない。ニニギの命である。
また、元伊勢伝説に九州や沖縄は無いことから、この元伊勢内宮皇大神社の天岩戸神社が有力である。


天の岩戸 (Wikipediaより)

京都府福知山市大江町 皇大神宮(元伊勢内宮)、岩戸神社。
宮崎県西臼杵郡高千穂町大字岩戸 天岩戸神社の神域にある。
沖縄県島尻郡伊平屋村 「クマヤ洞窟」
岡山県真庭市蒜山 茅部神社の山の上方。
滋賀県高島市 白鬚神社 岩戸社。
三重県伊勢市 伊勢神宮外宮 「高倉山古墳」。
三重県伊勢市二見町 二見興玉神社 「天の岩屋」 の神域にある。


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日室岳
日本三大ピラミッドと言われている信仰の山である。
『大江町誌』

天の岩戸神社の川向こうの原生林に続く急斜面の山が「日 うらが岳」で、日陰ケ岳とも日室岳とも表記され、神の降 臨を伝える神体山であり、禁足の神聖が守られている。内 宮社境内の遥拝所を一願さんと呼ぶ。日裏岳・城山(じょう やま)(岩戸・日室岳・日浦岳などとも呼ばれている)。

岩戸の渓谷 内宮発電所ダムの下流は岩戸の渓谷である。 二○メートル以上にも及ぶ断崖絶壁が両岸にそそり立っ て、その底を渓流がはしる。この渓流にのぞむ岩上に天ノ 岩戸神社が鎮座している。 渓谷の右岸は、日浦ヶ岳(城山)でカシの自然林であ る。左岸は宮山で、シイの古木が茂る自然林が皇大神社に 続いている。 岩戸神社本殿上手には、神が天下ったという御坐石があ り、本殿左手の川の中に神楽岩と呼ばれるものがある。こ こから約五○メートル下流の岩に数個のくぼみがある。甌 穴(おうけつ)であろうが、神が産湯を使った「産だらい」 といい伝え、神々の伝承がここにも息づいている。


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天の岩戸神社より暫く古道を行けば、真奈井の清水がある。

地の伝承によれば、第10代崇神天皇の39年、大和笠 縫邑から天照大神の護神体である八咫鏡を4年間お祀り した丹波吉佐宮の旧跡といわれ、その後全国を転々と移 動した後、54年後に今の伊勢神宮の所に正式に鎮座さ れたとされることから、古来より元伊勢内宮皇大神社と して西日本各地の崇敬を集めて来た。また元々丹後地方 に天下った神様である豊受大神をお祀りしたのが外宮 で、雄略天皇の22年に天照大神の夢告によって、三重 県の現在地に移転されたとされております。

元伊勢内宮皇大神社 【元伊勢参拝第十四番】

元伊勢内宮皇大神社  【歴史家は語る、ここに卑弥呼がいた?!】

外宮から更にニキロ程普甲峠に向けて走ると左手に【元伊勢皇大神社】の石碑がある。
街道を淡々と走ると昔の旅籠と思える民家が並び、とても情緒がある。
少し進むと元伊勢皇大神社の石段が見える。
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所 在 地 京都府加佐郡大江町字内宮
祭 神 天照皇大神(あまてらすおおみかみ)
摂社 左殿 天手力雄命(あめのたぢからをのみこと)
右殿 栲機千々姫命(たくはたちぢひめのみこと)
奥 宮 天岩戸神社 末 社 熊野神社、三女神社以下80社
祝 部 朝暉(あさひ)氏
昭和初期に断絶 諸 事 60年に一度の立替を伝えるが、現在の建物は平成23年に建て替え完成した。


御由緒

伝承によれば、第十代崇神天皇三十九年(西暦紀元前五十九年)に、「別に大 宮地を求め鎮め祀れ」との皇大神の御教えに従い、永久にお祀りする聖地を 求め、それまで奉斎されていた倭の笠縫邑(現奈良県桜井市)を出御されたの が、いまを去る二千数十年前の遥かな昔であった。そして、まず但波(丹波) へ御遷幸、その御由緒により当社が創建されたと伝えられている。

皇大神は、四年ののち、御神蹟をおとどめなされて再び倭へおかえりにな り、諸所を経て、崇神天皇二十六年(西暦紀元前四年)に、伊勢の五十鈴川上 の聖地(いまの伊勢の神宮)に常永遠にお鎮まりになった。しかし、天照皇大 神の御神得を仰ぎ慕う遠近の崇敬者は、引き続いて当社を内宮の元の宮とし て「元伊勢内宮」あるいは「元伊勢皇大神宮」「大神宮さん」などと呼び親 しみ、今に至るも庶民の篤い信仰が続いている。



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元伊勢皇大神社へは、この旧街道が良い。
江戸期、明治には、多くの参拝客で賑わい、どの宿もいっぱいだったそうだ。
旅籠らしき家屋は、とても情緒的だ。

明治大正の頃、元伊勢参りが盛んで、この辺りの参道には土産物屋、旅館が立ち並んでいた。
山陰・若狭地方の 「伊勢参り」は、この元伊勢外宮内宮の事を言う。
現在も昔を伝える雰囲気が残ってい る。

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「伊勢」と丹後「元伊勢」を結ぶ直線ラインは、すでに二千年前から完成していた。その中心に平安京が位置している。

地の伝承によれば、第10代崇神天皇の39年、大和笠 縫邑から天照大神の護神体である八咫鏡を4年間お祀り した丹波吉佐宮の旧跡といわれ、その後全国を転々と移 動した後、54年後に今の伊勢神宮の所に正式に鎮座さ れたとされることから、古来より元伊勢内宮皇大神社と して西日本各地の崇敬を集めて来た。また元々丹後地方 に天下った神様である豊受大神をお祀りしたのが外宮 で、雄略天皇の22年に天照大神の夢告によって、三重 県の現在地に移転されたとされております。


鳥居は桧の黒木で、全国で、ここ内宮皇大神社と外宮豊受大神社だけである。


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伊勢神宮は、天照大神が安住の地を求めて、大和の笠縫邑を出発し、次に丹後与佐宮に四年間仮鎮座し、その後全国24カ所 を転々として、最後に落ち着いた社である。
天照大神が、伊勢に鎮座する以前の場所を元伊勢という。
ここ皇大神社は、崇神天皇の頃、天照大神の御神体である「神鏡」が祀ら れたといわれる。
本殿の両側には脇宮2社が建てられ、それを取り囲むように83社の小宮が並んでいる。

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元伊勢外宮豊受大神社、元伊勢内宮皇大神社、天の岩戸神社を元伊勢三社という。
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樹齢2000年、有名な大江山の鬼退治に丹後へ派遣された麻呂子親王(聖徳太子の異母兄弟)が自ら 植えた杉だといわれる。
しかし、麻呂子親王は6世紀頃の人なので、植え替えたのだろうか‥‥。
プロフィール

南方系海人

Author:南方系海人
ブログへようこそ!
古代丹後には王国があり、近年の調査で少しずつ証明されつつあります。
また丹後には、素晴らしい自然と伝説が沢山あります。
7000以上もの古墳、遺跡、史跡を自分で歩き、古代からつづくロマン街道や、元伊勢、神社、古墳、山城を旅する記録です。元伊勢伝承地は全て廻ります。
郷土のコアな伝説は、現地に何度でも行って調査します。
私は歴史家でも考古学者でもありませんが、郷土を愛し、歴史を知りたくて開設しました。
ホームページでは無く、あくまでもブログです。
間違えた認識もあるかと思います。
自分が調査した事を纏め、日記帳として利用しています。

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